広報じょうほく No.221 1981(昭和56)年 9月
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関束;入会は八月十日から十一日まで行われ、私と小林さん、久保田さんが出場しました。できればを何度となく味永一できたのですが、これほどに一本が貴重だと思いしらされた経験ははじめてでした。そして全国大会へ。『関東大会のあの苦しい試合をやってのけたんだ、精一杯やれ。』という小室先生の言葉とともに、皆自信をもってやりました。だれかが敗れても必ずだれかが勝つ、そんな気持ちだったので、ずいぶんがんばれました。準決勝で東京一位の小平二中と対戦した時は、皆一人一人が最高のプレーでした。苦し力った個人戦脅識#灘蔑“零建や鐘樹蕊蕊蕊簿鋸薙浄タ鴬′鍔奄驚藤畿零蝿鴻識′譲慰総蝿息一寺門さんを入れてベス扇《:4で出場したかったのですが、寺門さんは県大会で苦手な相手に当たってし決勝では関東大会でも敗・聾息いる大井西中だったので、精一杯がんばったのですが負けてしまい準優勝でした。今ふり返ってみると、毎日毎日よく練習したと思います。やはりこれだけやれたのも、毎日のつみ重ねだったと思っています。卓球を通して、やればできるという事を学びました。私たち一人一人にとって、一生涯心に残る日だったと思います。応援どうもありがとうございました。まい出場できなか(》たのが残念です。試合の結果は、小林さん、久保田さんは一回戦、お互いに苦手な人と当たり、接戦だったのですが敗れてしまいました。私は二回戦まで楽に勝つことができ、三回戦は去年一年生でダブ一ルスの関東大会出場をした東京足立十四中の山口さんとで、今まで何回かの試合で負けたことはなかったのですが、三セットの接戦で勝ったので気はぬけませんでした。しかし、結果は二対○のストレート、趣対蝿、虹対廻、今までの中で一番少なくおさえて勝ちました。四回戦、この試合に勝てばそのまま全国大会へ出場、負ければ敗者ふっ活戦を行い、、それにもし勝てなければ全国へは出場できない。そう思うと、自然にきんちようしてきました。相手は団体優勝候補の大井西中の保刈さん、ぶつかるつもりで試合し、接戦の三セット、虹対廻で勝ちました。ベストエイトに入ると「ちゅうせん」で組合せを決めての試合になり、私は個人の優勝候補の東京の内宮さんで、2対0で負けました。3超“…爵マ、穀灘識縦鐸鍛灘掌蕊難戦溌鐸鎌燕亨訟樺彰舞鋒雰熱縛曹静欝.祭.裳舗雑謬場典騒蝋息蟻鎮___』二度と同じタイプに負けぬよう練習を重ねたいと思います。最後になりましたが、私たちがここまでやってこれたのは、先生関東大会から通して私が感じたことは、苦手なタイプをつくってはいけないということです。普通の試合で七’八○%の実力を出しているとしたら、苦手な相手には四’五○%しか出せなくなってしまいます。私は卓球を続けるつもりなので、L一一一r一可しかし私は、ベストエイトに入ったので、十四から十六日までの全国大会に出場できました。一回戦、接戦の三セット勝ち、二回戦、自分が最も苦手とするタイプと当たり二対○で負けてしまいました。蕊騨甥.軸寺鐸…慕識蕊鐸騒…壁軽鵡図裂窪…選鍍錨坐諏魁垂唾碓錘画趣霞淫諏廼望至竺jf璽冨窪雪駕竪翠勇・尋』斡蕊噴銘掛轟翻識載誕鐸露も錘塑…塑麹難鱈B鍵…蕊睡!方初めPTAのみなさま.町長さん、教育長さんその他たくさんの方がたのご協力があったからこそとかんしやしております。個人戦で力を十分出しきれなかったことをおわびし、それとともに心からお礼を言いたいと思います。どうもありがとうございました。◎小山あ、きさん常北町那珂西一八六九電話三○八九一5.、鋤広報じようほ<…、画d蹄再び■一品一一ロロロム公噛一ロロロヰロ屯LW-425-

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