広報じょうほく No.216 1981(昭和56)年 4月
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去る二月二十二日の日曜日に城北ライオンズクラブと町子どもライオンズ優秀作文決まるあき缶ひろあき力んひろF~可零jl石塚小五の二森島里美二月二十二日、日曜日のごぜん九時から、子供会で、あきかんやびんひろいをやりました。みんな、薬師寺から、佐久山町二号線をとおって、本町にまわって、あき缶ひろいをやりました。家のわきの、かしてんぽも、あき缶がおちていないかどうか、見てきました。いつもは、わたしの家のわきの会育成連合会の主催による一空きかんひろどが、多数の参加者を津雪一昨小松小一年たけいるみわたしは、あきかんひろいをしました。らんとばのほうは、うちのおとうさんと、おさださんと、わたしでいきました。らんとぱのほうは、十こいじよう、おちていました。うちのまえF~可かしてんぽに、あき缶がたくさんおちているのに、今日は、少ししかあき缶は、おちていませんでした。わたしは、その時少しがっかりしてしまいました。どうしてかというと、いつもたくさんおちているあき缶が、今日は、ふたつ、みつつしかおちていなかったからです。たくさん、あき缶がおちててもらいたかったわけは、みんなとおき缶あつめの競争をしていたからです。は§あきびんが、ひとつだけ、おちていました。ふくろがたりないから、おちていたのをひろっていれました。はじめの、ライオンズクラブから、もらったふくろは、まんばんになってしまいました。ひろったふくろも、いつぱいになりました。ライオンズクラブからもらったのは、はじめ、わたしがもってたのに、おもくなって、ももこて行われましたか{この行事を主催した、城北ライオンズクラブが、空きかんひろいに参加しての感想文を募集したところ、各学区よりたくさんの応募がありました。審査の結果、次の六名のお友だ皆脱さんと山倉さんと、長島さんと、わたしで、あき缶あつめの競争をしました。いち番、あき缶の量が多かったのは、長島さんでした。あき缶ひろいがおわると、みんなのひろったあき缶を、ひとまとめにして、園部さんの家の前におきました。あき缶は、たくさんあつまりました。でも、たくさんあき缶が、あつまったということは、ジュースやビールをのんだ人が、その場に、缶をすててじまうことです。てないから、、おとうさんがもちました。おさださんのひろったふくろは、おさださんがもちました。あとから、おもいけれども、おとうさんが、もってたのをもちました。はたけには、いっぱいおちていました。これからは、ゴミとか、あきかんを、すてないように、したほう◎ライオ、一ズ優秀作文賞受賞者森島里美石塚小五年ちが|ライオンズ優秀作文賞」を受けることに決まりました。それでは、低学年と高学年からお二人の作文をご紹介します。。だから」わたしは』のみおわ宅たあき缶などは、くずかごにすてればいいのにと、すこしおもいました。でも、わたしは、あき缶ひろいのあと、すこしスッキリしました。どうしてかというと、どこを見ても、あき缶や、あきピンがおちていなかったからです。それで町がきれいになったからです。今日は、みんな、あき缶ひろいをがんばりました。がいいとおもいます壷それから》みんなの、みちなんだから、ゴミを、すてないようにしたほうが、いいとおもいます。それから、うちに、もっていってから、すてるように、したほうが、いいとおもいます。園部潤一武井るみ園部明美菊地祐子大森まり子小松小六年小松小一年小松小二年青山小三年青山小四年【ぱ広;報≦、じようほ§く峰一鐸::-361-
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