広報じょうほく No.210 1980(昭和55)年 11月
9/14

くる非卓上の胡桃二つは愛の距離今瀬剛一那須へ向く霧の電線びゅんびゅんと荒井頒雨むれふ島ん穂波寄る上に雀の群浮沈(故)所常蔵冷やかな鏡の前に立つ人よ小貫まさをやな謡雛喋を組み始めけり築男加藤鉦好‐○鰻若き日を追ひやるごとく法師蝉一木雄一郎かりつ土雁渡し夫逝きし日の体温計鯉測寿美恵新米にふくらむ朝の箸つかい飯村愛子エプロンの白さまぶしき今朝の秋三嶋あさま稲刈りし夜の手重たし通り雨寺山みさを新米と父の笑顔の届きけり瀬谷博子どんぐ羽団栗の匂ひするから風が好き杉山幸子一そば蕎麦の花ほどに明るく旅はじめいそべきよ馳け足で日は沈み行く刈田道・飯島とみ秋ざくら部屋一ぱいに母の顔小田木梅卵の殻をすててもどれば秋の風吉元つる代七草に七つのいのち花挟見持多美子しぐれ行商の荷のぎしぎしと秋時雨浅野菊枝L人らぢり踏み入れば汐の香りの新松子綿引英子いわし作業場の窓明け放し鰯雲袴塚末子山の風肌にしみつつ滝の音小貫君代旅立ちに仏埴の菊活けてをり長須きみの.&くせい雲間よりの光りにこぼれ金木犀高橋芦江老ひ母の軽き下駄買ふ秋彼岸川和玉技秋の夜の集いのための紅を引く寺門美恵子浜風にすすき吹かれて夜となる阿久津あい子誰か来るやうな気がして花芙蓉鈴木静枝流水と同じ速さに川とんぼ原勝男一一叩))一一画一■■|画一■■■一■一「■■一。-守且■■.‐.‐11,IIIlIIlllIIII…し.●陽月七日.今日は立冬、こよみのたかい小春日和が続いたりして上では今日からいよいよ冬に入まだ冬の実感はありません。こります…・…..。」などとラジオのあと、暦の上では、小雪、大やテレビから、季節の変わり目雪、そして十二月下旬の冬至とを告げるアナウンサーの声が聞続いて本格的な寒さに向かい、かれます。冬至にはカボチャを食べて中風立冬は昔から伝わる暦の上での防止を願一|たりこれから日の季節の区分点で、現代の生活照時間がふえるという意味のおにはあまり関係はないようです祝いをする地方もあります。が、最近は、テレビゞラジオの立冬については、昔中国で、朝のあいさつや新聞の季節の話天子が諸候をひきつれて北の郊題などによく使われるので、ひ外へ冬を迎えにいったという話ところより、かえって親しまれが残っています。てきています。それにしても立冬は、北日本立冬は毎年十一月の七日か八ではもうストーブの季節、省エ日ごろで、この日から立春の前ネルギーに留意するとともに、葬蓋r~刃立冬一。…鰯藩溌…灘…蕊鑑識灘i・.強~雰澱認…畷;“窓…溌議蕊驚墓更皇警寧繊鴬識蕊蕊蕊灘蕊義蕊蕊蕊溌欝識購撫卑燕驚譲鐘:儀篭~や哩酵一一-291-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です