広報じょうほく No.204 1980(昭和55)年 5月
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|あわてて包丁やスプーンでこす一ると、お鍋にキズがついてしまい一ます。|アルミ鍋なら、まずお湯を入れ-て一二十分くらいおき、クレンザーをつけたスチールウールなどでこすり落としましょう。ホーロー鍋身体障害者に対する更生援護思想の普及をはかり広く国民の理解と関心を高め、身障者の自立更正を高揚して福祉行政の推進をはかる目的で、四月一日より五月末日までの期間「身体障害者福祉強調運動」がすすめられています。郵政省では、この運動にちなみ、料額印面意匠に「青い鳥」を印刷した記念はがきを一般に発売していますが、次の条件にあてはまる鍋を焦げつかせてしまった時に身障者の方にはがきを差し上げます=の魚げつきは、お湯を入れて火にかけ、木のシャモジで、はがすようにしてとります。それでダメなら、ぬらしたスポンジに重曹をひとつまみつけで、こすってごらんか字さい。とにかくあせらず、ゆっくり落とすのがコツです。方に、このはがきを無料で差し上げることにしています。ご希望の方は郵便局または役場福祉課にて整理票を受けとり、必要事項を記入の上、郵便局窓口でお受けとりください。郵送も可能です。●対象者身障者手帳の交付を受けている方で、障害程度等級一級または二級該当者(昭和五十五年四月一日現在滴六幾以上)のー一一善意鞠鐘もむび、九、○○○円石塚川和一男氏農業後継者のお嫁さんをあっせんしたときの報償金全額を預託されたものです。●一四、四八○円石塚田口登氏ウイスキーのピンの中に、釣り銭などの十円玉をためておいたもので、このほど善意銀行に預託されたものです。、受付期間本年五月末日まで一人につき二十枚〆9町訟震鐙蕊感.荒井伸男昭和千六年含発行の一石塚町郷土史]をお持ちの方ぱいまぜ‐謡為P○て鐸、P》&軒。即ん懇。総峠苛:苧。鷺》・・、雀鴎報麓溢ぎした蒙啄公民館(電謡二○二四)あ逼二報瞭超超膨雄癖葱暁ようが。》・コピ昨ピで保襟した蝿と禄心・宇瑠・6.虹▼‐。まま蝿ご溌力をお願い陸だしお》ねがい蕊蕊一母の日」と9『のは三月かと思っていたら、いつの間にか五月に引っ越しちゃったんだねえ」とは、ある年輩の「母」.の弁。母の日は五月の第二日曜日で、今年は五月十一日あたりますが、たしかに戦前は、三月六日の皇后誕生日(地久節といっていた)を母の日としていたようです。母の日は、今世紀のはじめ、アメリカのある女性が、母の追憶のために教会でカーネーションの配ったのが起こりといわれています。その後一九一四年(大正三年)に、アメリカの議会が五月の第二日曜日を母の日と決め、母の恩に感謝の気持ちを表わすことになりました。ちなみに、六月の第三日畷日の父の日は、.それからおくれること二十三年、一九三六年(昭和十一年)に〃全米父の日委員会“ができてから普及し始めたようです。日本でもアメリカと同じように、慾鮮幾鶏母の‐ざ一一〈、毛約九百一/一万悉か全国に出荷されます。父の日のプレゼントはネクタイが断然トップなのに対し、母の日は、浴衣、バック、和服小物などさまざまとか。あるデパートでは「母の日のプレゼントを買いに来るのは三、四十代の方が多く、ヤングは意外に少ないですね」と話しています。口うるさい教育ママに感謝の気持ちを持つようになるのは、自分が親になってからということなのでしょうか。贈り物はともかく、感謝の言葉だけは贈りたいものですね。たで父の日が知られるようになつのも、それ以後のことです。いまでは、母の日にカーネーシ画画の騨駕蕊驚懲撰雛醗患蟻蕊懸“騨電溌鎚鰯凝;議繊識鰭騨蝿惣鷲瞬龍蕊騨蕊驚蕊鍵盲斗蛤,▲峰鰯識§-213-
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