広報じょうほく No.201 1980(昭和55)年 2月
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議会常任委員会の構成〔敬称略F~可副議長森田繁議長大貫治任期満了による改選後初の町議会臨時会におきまして、私どもは、全議員各位のご推挙を賜わり、常北町議会議長並びに副議長に選ばれましたことは誠に身にあまる光栄でございます。議会は、申すまでもなく会議によって町政の重要事項を審議決定公正円滑な議会運営と町民福祉の向上に努力議会議長大貫治議会副議長森田繁F~可する町の殻高機関であり、その主宰者たる正副議長の職責の重大さを浦感しているものでございます。もとより浅学非父な私どもではありますが決意を新たにし町民の付託にこたえる代表である議会全員の意志を尊重し、公正かつ円滑な議会運営がなきれるよう誠心誠意努力する所存でござ←ます常北町議会といたしましても、現今の財政危機をのりこえ、各種の福祉対策をはじめ、ゴミ処理場建設、総合運動公園の早期完成、町農道の整備、教育施設の充実、水田再編対策等諸々の重大問題に対処し、財政の許す限り殺大の行政効果をあげるべく、執行機関と相協調して諸事業の遂行に全力を傾けてまいる覚悟でございます。町民各位におかれましても、今後更に一層のご支援、ご協力を賜わりますようお願い申しあげ、議長並びに副議長就任のご挨拶といたします。常北町教育委員会教育長、今瀬茂氏は、かねてより入院加療中でありましたが、病魔には勝てず、去る一月五日午後四時五十五分逝去されました。今瀬氏は、大正二年二月九日の生まれで、小松小学校を卒業後、水戸農学校、水戸農業試験場短期講習を修了し、昭和十二年、日本専売公社石塚出張所に勤務、その後、満洲国興農合作社奉天省支部に奉職、昭和二十六年には小松村議会議員に初当選、政治の社会に。奉職されました。昭和二十九年には小松村収入役、町村合併後の昭和三十年二月から常北町役場経済課長をはじめ、建設課長、住民課長、・総務課長を歴任されて勇退後、昭和四十八年十月一日以降、常北町教育長として教育の分野で数多くの業織を残されたのでありました。特に最近では、学校の改築事業、総合運動公園の建設をはじめ、幾多の大事業を手がけるなど、今後のご活醗が期待されていたものだけに、町としても、その打撃は大きいものがあります。ここに、氏の生前のご功績をたたえますとともに、謹んでご宴福をお祈り申し上げます。『ヰー■宇叩■0画■一“Cー=甲■幸。qF■■口生む一bQdD唖ウヱ,_一ゴ.._幸一エーユー心一■L___一一一…一一一一.T・』!:ー・・‐-‐・一・一‐。カー~~..鰯一.~・…1,口一・".ー・字..-.-…-す---~一一一t耐、--蓉-..-△.■ロ.凸一凸乱子=--.--.一■一一鼻一一.今亘q■■←■一一甲一■TーL■咽■■■ー●阜』一一■q■ーー■ー『守宅磨報言I麦鍾誹隆燈傘一f-;毒一苧一重重宝言-5fh"一睡一一一-163-委員会粂総務常任委員会教育民生常任委員会経済常任委員台建設常任委員台委員長副委員曇河原井昭三松崎力蓮河亦雷大内わく零軍司忠垂‘阿久津勝紀小島勝雄所周造定樹5ノ5ノ5ノ5人委員松崎力若森田繁浅野損所義雄河原井昭三大内わく弓江幡蕊阿久津堅次綿引和二河亦湾阿久津勝紀早瀬毒大崎八十吉浅野武一軍司忠室所周造大貫鴬森島一二石川多慨小島勝館
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