広報じょうほく No.200 1980(昭和55)年 1月
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広報紙二○○号おめでとうございます。一枚の両而刷りの広報紙のころは、私も若かったせいもあり、あまり鉦にせず、読みすてという感じでした。しかし、としとともにこの町の動向にも関心をもつようになると、広報紙がくると、すみからすみまで読んで綴じておくようになりました。綴じた広報紙を見返えしているめ、何をすればよいのか。こんな時こそ、広報のもつ役荊りの見直しが必要ではないのか。町の執行部や議会の方がたが、こうあるべきと想定する将来の町の姿を画き、そのための方法、手段、道のりを、町民に訴え、ある広報紙をみて感ずることr-1石塚戸崎長子と町グ流れのようなものを感じることができます。表紙ひとつにしても、昭和五十二年のころまでの表紙は、その月に関係のあるものがのっておりましたが、そのうちに、何々シリーズなどといって、町に住んでいてもわからなかった名所や、珍しい古木など、理解を深めるのに役に立つなあと思うのは、私ひとりではないと思います。内容についても、勤めている人にとっては、納税の月、その月の行事や出来事、また、人口の増減などもわかり、一日の勤めを終り↑夜のひとときをゆっくり表紙から読みはじめるのも楽しみのひとつであると思います。肩がこらず、その時に合ったマンガも、ちょっぴりでているのも、頭を休めるのによいアイディアと思います。一枚の広報紙から、今の十二頁←に住災を数行寺るための広報押動が強化されるべきだと思います。歴代の拙当譜の努力で、発刊当初とは兇迷える織充笑してきた広報じようほくに、更に欲ばつたお願いをしてみたくなりました。一子供一〃頃:‐)た遊びの中にこのとしになっても、きっと楽しめるんじゃないかと思うものがいくつかある。子供の頃は、家の中で遊ぶとしかられたので、年中、田畑を駆けまわっていた。裏山も格好な遊び場で、『ターザンごっこ」は、女の私も大好きだった。それよりもおもしろかったのが、冬になって木の葉がみんな落ちてしまってから、めいめいでトタン板を持ち寄り、木の葉でいっぱいになった山道を、トタン板に左る広報紙にもたるま-冬には企酬拙当の″がたのご誹労は大変だったと思います。それと共に、術北町の歩んできた足あとを兇るような感じになります。今後は、できましたなら、代表一幸”重歳を迎えた一腿報じ・曇こうにく」毎削刊さ無た戦とはどんな世代だったのでしょうか。二十二年という歳月は、どのくらい艇いのか、そして、人の場合、こんなにすばらしく成挺するのだという現実を、何かに見出したい鉱持になりました。そこで、今年二十二歳を迎えたお嬢さんに、広報とは別の角鹿から、彼女の子供の頃の想い出を綴っていただきました。子供の頃の遊び小坂宮田恵子の上に乗って滑り降りるのが、最高におもしろかった。そして夏休みは、バケツと釣竿を持って(釣竿といっても、棒に木綿糸をつけただけだったが)ザリガニ釣りに毎日精を出した。毎日毎日、バケツに一杯釣って、夕方、また川に放してやる。次の日、また釣りに行く繰り返えしだったが、これもまた楽しい想い出である。そして最も印象に残っていることというと、確か小学校四年生の頃だったと思うが、裏山に小屋をが出席している集会などものせていただければ、もっと充実した広報紙になるのではないでしょうか。広報じようほくの成架のあがることをお祈りいたします。一町力委託してvるみとり保育園靖光保育園への入園申し込みを、次の要領で受け付けますので、入園ご希望の方は手続きをすませてノ、だきい・なお垂.現在入園中の場合でも、引き続き入園希望の方はお申し込.みください。③定員みどり保育園六○名靖光保育園九○名家庭の日保育園児を募集しますS日曜巳④日記をつけよ新年を迎え一年の目標を●家旅みんなで生活の設●成人の日●食生活●火の用心たてる計‐常北町新生活動推進協議"■ロ■戸一■‐ー●P準け一唾け君一~ぬ●一■■。一々凸■●、=ー面、5-や一■=●。*‘~‐=・‐・ロ・DOSぞ曇.…….滝却…、鹸鉢齢,…..……・雨、…~鐸ふす、、興禽.-令.。‘幕..-,今-,.--‐...-‐.、蔭-.ロ二号_一口畦ロ”軍ロ.-呼鷺.、公,▲_no一一口謡麗要震"鍾愛;態二謡遥二二:広識進驚ブ涯鎧_宝瞳毒-148-
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