広報じょうほく No.200 1980(昭和55)年 1月
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広報じ・星興》う臆参・、.力発行さた・三してから二十二年をかぞえました。その歩みの中には、大きな足跡を残したことと思います。一月には記念特集として、二○○号への特別寄稿を依頼されましても、丈夫で長持ちがとりえの私、さて何をどのように書いたらよいのか、とまどってしまいました。昭和三十三年のスタートと申しますと.当時はまだスーパーなども無く、また、通勤する人もバスを利用し、マイカーなどで出勤する人は少なかったと思います。現在はどうでしょう。農家の単屋根も消え、新築ブームで真折しい家が目につき、ビルこそありませんが会社も進出してきて、ス飛躍させよう私達の広報紙‐lパーも生まれました。若者たちはピカピカの新車を思う存分乗りまわしております。常北町もここまで発展してきました。〃広報じようほく″とともに育ってきた私たちの町です。昔の広報紙の内容は、どんなことが書いてあったかは存じませんが、現在発行されている広報じようほくは、町を中心とした一三lス、出来事、スポーツ、お知らせと、巾広い面で、知らされることが多く、また、自営をしている関係で、大いに役立たせていただいております。中には、忙がしくて広報など手にすることもできないという方もおいででしょうけど、吸収する記事や、なるほどという点も多く、ぜひ、目を通していただきたいと思います。私は、毎回、常北句会の方たちの俳句をまつ先に拝読します。中にはむづかしくて理解しにくい句もありますが、作者の心がうかがえるようで、とても楽しみです。これからも、更によい句をお願いいたします。『一、また、句会の方たちばかりでなく、その他いろんな趣味をおもちの方、「広報じようほく」に寄せてはいかがでしょうか。自分だけの趣味として、埋もらしてしまうのはもったいないと思います。広報紙の発行にあたりましては、町長さんはじめ、企画課の方がたのご苦労もあると思いますが、これからは、ますます範囲を広め、更に充実されるよう願ってやみません。さて、今はどこの地方へ行っても、農家のお嫁さん不足で頭を浦めている方が多いと思います。こ誰かでも自分の住んで←る町が良くなることを望んでいると思います。それぞれの目的は違っても、働く職場が多くなってほしいとか、買物は、安心できる品物を安くとか、暮らしてゆくのには、あのようなことはこうなれば良いのにとか、求める対象はさまざまでも、向上させればという願いはもっているはずです。こうした住民の要望なり願望を抑釦■守11実現する一番身近かな行政の窓口の町は、執行態勢にこうした住民広報紙に望むこと石塚上宮博のままでは、農家も危ぶまれるのではないかと心配になります。せめて常北町だけでも、お嫁さん不足をなくしたいと思います。私は少しおせっかいでしょうか。入ごとではありませんぞ。今に新鮮な野菜やお米も食べられなくなってしまいますぞ。広報じようほくを更にいかして、誰れもが幸せになりたいですね。誰れもが気軽に投稿できる広報じようばく、ますます大きく飛躍されますことを願い、また、町の発展を祈念しております。の意識力反映されて夫きな流かを生み出してゆく、一体感とでもいうべき共通理解がなさなければならぬと考えます。住宅が立ち並び、工業団地が造成されても、必ずしも発展し、よくなったとは断言できない情勢が、現代にはある.価値感の多様化がそれだ。自然があるままにあってこその田園の良さと、考える人たちもあるし、物が魁かになって心が貧しくなったと嘆く人もある。本当に豊かになるには、何を求『。▼ありし日の茨鉄▼工事中の役場庁舎-147-

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