広報じょうほく No.200 1980(昭和55)年 1月
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糠一広報じようほく200号広報と》うほく二○○号幸め手、〆」こう〃○町の広報は昭和三十三年の創刊、いつしか二十二年の歳月が流れ去ってしまった。ちかごろまでの広報は、役場の吏員が本務のかたわらその細集にあたっており、その苦労は実に大きかったことと思う。しかし、その割合に形式化してしまって、町民にはよく読まれぬという傾向があったのではないだろうか。いろいろなことを役場に聞きにいくと、そのことは広報に詳しく識いておいたので、よくご覧ください……..。といった事実が何回か地域住民のみなさんと行政こを結ふ.J『:言役として或しは紙』:一対話ニミニニテー……:言くりの場として展開してまいりました町の広報活動、スタートしてから、はやこ十二年の歳月が流れ、ここに第二○○号をお届けするに至りましだ。この間、好余曲折をくりかえしつつも、みなさま方のたゆまぬ励まし、ご理解とご指導ご協力をいだだきながら、その世代を担当いたしました係それぞれが、微力ながらも発刊を続けてまいることができました。ここに改めて感謝の誠を捧げるものでございます。今や広報広聴活動は、自治陣におきましても必要欠くべからざる施策として重要視されており、今後ますます、その需要度は高まりゆくものと考えます。当町におきましても、広報紙を中心に、今後求められるであろう新しい広報形態を探求し、同時に「動く町民室」をはじめとじだ日常の広聴活動にも重点をおき、行政と住民との連携プレーを、より確実なものとして充実させてゆく考えでございます。今号では、地域住民の方かたからの寄稿をお願いし、二十二年の歳月をふりかえってみることにいたしましだ。広報紙二○○号を祝う‐上青山所常蔵あ↑一↑たように記憶してしる雷迩刊も祁当あったようだ。ひとつのことをまとめるということは容易なことではない。私もかつて創刊当時、広報の細集に関係した経験があるので、ことさらそのむず力しぎ力わかる香大小の淡料を収集して報遊することは大へんな特折りと思う。現在では広報抑当者も専任となり、町内の関係事項をもれなく正確に、その上、砿要な記事には写真まで入れて、瀦筆をもって報道してくれる。町雌は、もれなくみな読み町と地域とを結ぶパイプ役を、よく果していると考える。その上、最近では速報を要することは旬報まで発行して主旨を徹底されているので、町民は町政の大小を詳しく知ることができ、広報は町政運営上、大きな役割りを果していることは事実である。その他、趣味の柵として『常北俳壊」等を設けてくださったことはありがたいことである。常北の文化の向上にも役立っていると信ずる次第である。▼創刊当時の広報紙▼合併当時の議員さんF。-146-

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