広報じょうほく No.191 1979(昭和54)年 5月
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町の広報活動の一環として今年度から「旬報」を発行します。これは、現在発行している広報紙の中の広報告知板を廃止して旬報に切りかえるものです。私た毒青年団は現在夫○名の団員(女子三一名、男子二九名)で多くの活動を行っています。しかし、町内にはもっとたくさんの若者がいると思います。家にぱかり閉じこもっていないで、青年団に入会して大いに活躍しようではありませんか。青春は二度とありません、若者が多くの友と一丸となって楽しく活動できるのは青年団しかないと旬報を発行します灘義手星雲圭胃伍斗園凹巨貝草分生未一、常北町公民館内常北町青年団事務局電三一一一内線五二堀二○二四(直通)団長田口喜一あて思います。気軽に入会できますので、お友だちをさそい合わせ、次にご連絡ください。諸手をあげて歓迎します。このお知らせ広報一句報じようほく」に掲載される記事の内容は文字どおりお知らせ記事のみで、毎月二回、五日と二十日に発行されます。春風が痛くて朝の大きな瞳今瀬剛一春風に商し低しの水の音所常山帰省して一夜を春の子の馬に吉元つる代一一娘のようにジーンズはいて花疲れ鯉洲寿美恵二粥し息とめて一度にひらく辛夷かな飯村愛子五日発行分に(一きましてにその月の十六日から三十一日まで、また、二十日発行の旬報には翌月の一日から十五日までの期限内に係るお知らせ、催し物等の案内記事を掲載するもので霊原則として従来の回覧板は廃止となります。各ご家庭においても紛失などしないようご協力ください。(一春宵を同じ痛みの夫と居り寺山みさを夜は雨と思ひつつ蒔く春大根磯部きよ満開の花の香を背に産衣ぬう小田木梅京菜切る外には母がいて日曜杉山幸子母と子が合わす歩幅の入学日浅野菊枝味やくれんむじゆうでら白蓮の散るがままなり無住寺萩谷ふく整地終えし田の広々とかげろへり原勝男眠くなる本をひろげて春日向川村多卵子はつきらよう舞う筈でなきときうらら初黄蝶加藤鉦好となりから隣へ闇を猫の恋小貫まさを味噌炊いて味噌炊く母の老いゆく見持多美子髄ざ上う連通を切らんとしたる吾がそまる瀬谷博子全開の自動車の窓春をゆく軍司憲二しみ籾ゆ白粥にうぐいす菜そえ羅職ゆ安藤あい子密風凪ぎて花を見ながら子安講飯嶋とみふさふさと髪長き子のシャボン玉三嶋あさ初夏の訪れです。若葉青葉がすくすくと伸び薫風が吹きわたります。このころの薫風とは、緑のかおりを運ぶとみたてて、夏の南風をめでた言葉です。冬の間、卓越していたモンゴル方面からの北西季節風は夏になるとすっかりかげをひそめ、新しく太平洋方面からの南よりの季節風が日本を支配するようになります。緑いっぱいの五月、野に山に出て初夏を満喫してはいかがでしょうか。町の人□あとがき前月北闇月琵(-2)(+6(+7)(+4:(-3)(+7:(+10)(-3,5月1日現在世帯数2,697世帯人ロ10,567人男5,156人女5,411人やラ詰るララも、:ー▲一一竿・ー0f・一品・ロー■.O一一~ロ■ー..p■ローーーーーー-0や-ー一一一-四一一c■字画、ロロ0.面■口酵韓一,ロ画・一・一一左”…一一"-.--軍令潅報移よう.、騒ぐ壷…--ー一一一一匙屋士屋琴謹ラFでヘーーさ吉斗暑.。Q■“一G-一Ppp一一一一一一~Q山一らー■心曲の一一-58-灘溌
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