広報じょうほく No.189 1979(昭和54)年 3月
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広報じようほ‘昭和54年3月15日第189号電話のダイヤル自動化陸関東大震災による通信設備の域滅的な打撃から立ち上がるのを契機として、それまでの交換手が接続する皇ナ動交換」に替わって、大正十五年二九二六年)一月、東京中央電話局京橋分局で、初の自動交換機とダイヤル式電話機による「自動交換」が始まりました。その後、昭和二年六月に市外即時通話が東京と当時市外通話区域だった大森(大田区)との間で開始されましたが、これは大森局の加入者が、まず大森局の交換手を呼び出し、この交換台から交換手がダイヤルで直接相手の加入者を呼び出すというものでした。今日のようにダイヤルひとつで市外通話ができるようになったのは、昭和三十一年六月からで、東京から横浜、川崎など近郊五都市へ開始したのが最初でした。その後、昭和三十七年十一月に東京・名古屋間で長距離ダイヤル市外通話が実施され、昭和四十年二月には東京と全国道府県庁所在地相互間が自動化されました。自動化は、都道府県別にみると、昭和四十六年十一月に大阪で完了したのをはじめ遂次各県において一郵便局だよ陣一r、全国の電話。自動化ガ完了完了し今隼三月一四日をも(て東京都及び沖縄県を最後に全国が自動化されました。ちなみに、常北町の場合を調べてみましたら、昭和四年二月十六日、‐石塚に電話が開通し、昭和四十五年に自動化され、昭和五十三年に至り、地集電話、有線放送電話が一般電話となり、完全自動化が実現しています。お年.玉つき年賀はがき当選番号一去る二月一二八日常北く属しの会の皆さんが、水戸の養護老人ホーム愛友園を慰問し、参加した三十名の会員の演芸披露や、不用品交換会での売上金の一部二万円を贈るなど、一日を奉仕活動に過ごし、おとしよりから感謝されました。なお、三月中下旬には町内のねたきり老人慰問を計画しています。■も凹一一一くらしの会の奉仕活動識難lJ0え綴。識''“‘夢す,’:蝋へ演芸を披露する会員の皆さん町内Iは一一天の県道かあ、ま一か孝の甲でも、笠間常陸太田線下古内地内の宿東より中山峠間は診道巾も非常にせまい県道でしたが、今年度九千三百万円を投じ、道路のつけかえ工事に着手しました。昭和五十五年末頃には、すばらしいバイパスが完成することになっています。関係者各位に感謝申し上げます。県道改良工事進む。今完成が待たれるバイパス工事(宿東地内・)棄権して誰れにまかせる国のかじ-29-1苓2雪3雪4零ラジオ付きテレ:二ポケッI、カメ弓手紙セツお年玉切手シーiA錨各組共通一一四一■{一ケ5A下各組共通下5ケタ各組共罵下3ケ三各組共通下2ケタ05523188,732115225274072388胃6017:22こ76.号44

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