広報じょうほく No.179 1978(昭和53)年 5月
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広報じようほく昭和53年5月15日(5今まで述べてきたように、保護然でありましょう。司は対象者を預るとその更生保護然るに、この考えこの態度、親に入るわけですが、その際、ややとして家族として全くその責任をもすると意外な所に抜け穴があっ無視し、先祖や社会に対して申して、保護司の努力は完全に流出すわけないということは、本人よりることがあります。もむしろ家族の責任と思えます。それは家族というものであってまた後者は、表面は一応円満な保護司にとっては敵とも味方とも家庭に見えるけれども、何ごともなり得る存在なのです。本人中心主義であり、本人に対しこの家族の中には本人の犯罪非て犯罪非行の反省をさせるどころ行に対して、先祖に申し訳けないかますます増長させ、その結果次とか世間に顔向けができない等と第に再犯への道を辿らせることに全く自分勝手なことばかりいってなります。いる御都合主義と、本人をことさまた、本人の犯罪非行に対してら高く評価して、二言昏には家の全く無関心で、いわゆるどうにで者に限っては…:.……等と、なにもなれ主義の家族もあります。こごとによらず本人の自由奔放な生のような家族はかず少いけれども活を容認している放任主義の二つ普通常識では考えられない家族での型があります。あります。勿論、その責任の一端前者は自己中心主義であって、を考えようともせず、そうかとい本人のことなど何ひとつ考えようって本人の反省を促がそうともしとせず、本人の顔さえ見たくないない、往訪しても全くつかみどこというような態度を示し、その結ろがない家族といえます。果は自暴自棄にさせ、ついには再前にも述べましたように、更生犯への道に追い込むこルをなりま保護という仕事は、保護司のみにす。勿論本人は大切な家族の一員ては十分に多の目的を達し得ないであって、犯罪非行の原因の一端のであって、その為に法によって●も家族にあることは当然といえま国民全部が何らかの形において協す。従って、家族の者はその責任力しなければならないことになっを十分認識し、心から本人に対しているのです。その中でも家族のて温かい手をさしのべるべきが当協力は最も大切なものであります。蹴鰯副戦蹴鰯醐鰯醐蹴鰯醐溌鰯鰯醗醐戦醗醐鰯醗醗蹴鰯I‐l‐l‐卜‐‐.1.,.リワ‐,、クロ‐0,J“‐PもJqIo、ノロl“LJ画P。、〃宮0P凡ノ宮0グ『〃耳,伊田ノ』;“『J耳,jqJ随,“、ノ』.7ケ『ノレ.J』、JF7甲ミゲト,い、ゾト間〃〕、vr/】醐鰯鰯醐鰯割鰯幽醗繊蛾憾鱒翻園鰯霧無鰯織卸惚綴雲§鰯蹴鰯醐蹴鰯醐戦醗戦蹴鰯鰯騒騒醐繍議綴譲灘その家族が、都合主義や放任主義↑どうにでもなれ主義では折角更生を誓って再出発した対象者も逆もどりすることは当然といえます。子を知るもの親に如かずとか、生まれた時から一番よく知っているものは親や家族をおいて他にはないはずで、その親が、家族が勝手なことばかりいっているようでは本人は一体どうなるのでしょうか。家に帰えっても面白くない冊‐,いう彼等の気持ちはわかりすぎる程よくわかります。人間だれでも家庭は憩いの場であるのに、多の家族が面白くないようでは結果はわかりきっています。而してその責任はだれにあるのか、先祖に申しわけないというのなら申しわけできるように彼等を指導監督すべきが当然でありましょう。彼等は帰住して最も頼りにするのは家族の温かいふところです。その家族がこのようでは誠に気の毒です。本人達の犯罪非行については、すでに法の裁きを受けて更生を誓っているのですから、だれよりも頼りにしている親や家族は十分にその責任を考えて更生保護に卒先協力しなければならないのではないでしょうか。以上四回にわたり保護観察とその対象者、家族について述べましたが、我々保護司は、一に行動、二に行動、昼夜を問わず常時この道の第一線に働いているというこ「州川川州馴糾、11“……;:§…一新総代が誕生一畦誹祁函挙》拙部閏唖砕唖抄》悔第匡鍾》区搾(開二》)融》四月六Ⅲに投票が行われ、次の方〃田上光夫》第一選挙区(十七名)〃関野豊司塞〃永山宗一〃西野昭一仲癖燭国魂呼謡肝蓋識珂綿蝋畿瀞斗峰諜櫓上青山細谷正一郎〃小田木弘一勝三沢州》〉趣卦岩刈町酔伸》太部《〃関谷信勝〃小坪光義-7Rq-ノッリ

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