広報じょうほく No.177 1978(昭和53)年 3月
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広報じようぼく昭和53年3月15日(6)2-頭でっかちモヤシッ子」に友だちを正義の味方として「変身〃.」「変身/・」で活躍する超人間にあこがれる冒険心旺盛な子ども、不幸な運命に生きなければならない少女の物語に涙ぐむせんさいな感受性強い子どもも、自分の主張や要求が生かされる遊び券欲しがっているのではないでしょうか。また、仲間のおきてや、ルールに従わなければならない遊びを大雷切にしているのではないでしょうか。八行動力のない子どもVところが、「塾の時間だよ」「描題をすませなさ母「洋服がよごれるからやめなさど「ケガをするからよしなさど……………と催促と禁止の命令を次々とだす母親の顔がちらつき、遊びにも勉強にも身が入らない子どもたちが増えているのではないでしょうか。今日の子どもはスマートな社交性をそなえているといえましょう。しかし反面、行動力がともなわない、依頼心が強すぎる、親切心に欠ける、物を大事にしない、手のこんだ面倒なことをいやがる、最後まで物事をやりぬくねばり強さ子どもたちの未来のために(その三少年団体を育てる大人の役割りがないなどと鳥ひ弱な頭で一一一かちのモヤシッ子状態を指摘する人は決して少なくないようですが、あなたはいかがお考えでしょうか。八仲間との交流が少ない子どもVこのような特微を今日の子どもたちが持っていることは事実であるかもしれません。しかし、このことを一方的に子どもたち自身の努力不足と非難することだけでは十分といえないと思われます。親の過保護、あるいはあやまったしつけが主体性を欠き、依存性の強い子どもにさせてしまっているのではないでしょうか。とりわけ、家族の少子化、受験のための過度の勉強が強いられるなどから、子ども同士の交流の機会が少なくなっている現状は、見逃すことのできない重要なことであることを強調したいのです。核家族化現象の中で生活をしている子どもたちは、一人っ子またはそれに準ずる孤独な状態で毎日を過ごしており、自分のほかに他人がいることに気づくことができないのではないでしょうか。相互の依存、連帯、ゆずりあいの体験をもたず、一方、親は子どもへの過度の愛情と期待を傾けが一売され、売上金のうち七三七○○一円が善意銀行に預託されました。七百数十点の品々は、超破格で即ちになり幼少年期に必要な基本的しつけすら欠くような過保護状態の中で生活を‐)ていては、世の中は自分のためにだけあるかのようにふるまう一一とが当然なことであると‐〉か理解できなくなってしまっています二二れも、無理もなり一となのかも,)れません、今八街の中では行きずりの一人にすぎない子どもV次に、同じ地域に生活している人たちの地域連帯感が、あまりにもうすれて‐)まってはいないだろうかということに目をむけてみる必要がないでしょうか。駅前の広場でも、バスの中でも注意してやらねばならぬ行為を見受けても、「どうしたの」「やってよいことなのかナア」とひとこんの方がたでにぎわいました一(》る不用品交換会が催され↑,たくさおいて常北くらしの会主催によ百六・.-...余名の会員が持ちよった去る二月二十三日、町公民館に不用品交換会と言葉をか峠たりする入にでくわすことがあるでしょうか。ささやかな注意や勇気づけが、大きな非行化を止める大切なきっかけになっていることがたくさんあるように思われますがいかがでしょうか。職場や家庭にだけ関心が集中し地域社会に対しては全くの無関心という偏った状態の中では、世の親たちは自分の子どもにしか関心がもてず、、子どもたちがいったん家弁》出れば「行きずりの一人」になってしまっていませんか。(町青少年相談員協議会)行動で示そうありがとう運動あいさ-つを..…・親切・いたわりを。…・・はlヂましを‐..…感誼寸・才苛ネLを.…..※笑顔で明るくさわやかに※▲盛況だった会場-730-

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