広報じょうほく No.174 1977(昭和52)年 12月
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広報じようほく(4;昭和52年12月15日この共准表蚕は、本県の製茶技術の改善と品質の向上をはかり、県・茶業の振興を期するために全国農業祭参加行事の一環として開催されたもので、古内茶組合発展のためにも意識深い共唾装云として注目をあびました。茨城県、茨城県茶生産組合連合会、常北町の共催によるこの会は十月五日の出品物搬入にはじまり第翠回茨城県茶業振興共進会当町において盛大に開催嘩正な審査を経て…県内からの参加点数は一三四点に達し、そのうち常北町からは二十五点の煎茶が出品されました。去る十月七日には常北町公民館において県山間地帯特産指導所長ほか十名の審査員によって厳正な審査が行われました。審査は、外観三十点、水色三十点、香気七十点、滋味七十点の合計二百点満点で.合計点の多少によって優劣が決定されました。十一月二十三日には出品茶の入▲褒賞をうける加藤さん札と褒賞式が、農協祭でにぎわうさん、高安俊秀さんら五名の方がと変わり毒小作料も定額化たれる会場内で挙行されました。入賞し、また、特別賞では、加藤ゞ等、一連の経済解放が促進される常北町からは、二等十位、三等隆男さんが県経済連会長賞など三とともに農村の民主化が一段と急十六位の加藤隆男さん、二等十四つの賞を独占、萩谷康彦さんは常速に推進されたのでありました。位の萩谷康彦さん、三等二十八位銀石塚支店長賞を獲得するなど優終戦時の食糧危機突破に大きなの永野甫さん、努力賞に小島勝男秀な成績を残して幕を閉じました。役割りを果たした当時を想い起こすとき、今日、食糧自給率五○パーセントを下回る事態の中で、米農林大臣表彰に感謝して鰹産醗誠獣那鵬綴じ得ない次第です。今や農業はその担い手の確保、昭和二十一年十月二十一日、自に基づく公職追放まで地方自治、後継者の花嫁問題、機械化貧乏等作農創設特別措置法が制定されて産業組合、農業会運動に沿頭し、#甲心として最大の難局に直面し以来三十年にあたる去る十月二十追放後、指導農場の設立、農業改ており、経済成長のひずみをもろ一日、塞皐大手町産業会館国際ホ良普及所への移管に尽力、同三十に受けている現状です。われわれ-ルにおきまして、三十周年記念六年追放解除とともに茨城県農業は、農業を経済産業の一環として式典が農林大臣をはじめ関係者六委員に水戸市・東茨城郡より選任・正常に位置づけ、食糧の自給確保百余名の参集のもと、盛大に挙行され、同二十九年、農業委員会法と国力の安定確保に強力なる施策されました。席上、不肖私も、多改正とともに村農業委員、県議会を期待するとともに、農民は勿論年農業委員としての功績ありとし員として選任され、爾来現在まで全国民の自覚と協力によってこのて、農林大臣より表彰者の一員と連続二十七年余にわたり町村並び難局を打開すべき重大なる秋と確して受賞いたしました。に県農業の振興《農地問題等にと信する次第であります。誠に感激の極みであり、同時にりくみ、微力をいたしてまいった農地改革三十周年を静かに回顧多年にわたり私どもをご支援ご協のであります。し、この成果を農民自らのものと力賜わりました町民各位並びに町もとより浅学非才、皆さまのごして高く評価し、常北町はもとよ議会、町農業委員各位に対し満腔期待にむくい得ませんでしたが、りわが国の悠久なる発展に、農業の感謝の意を表する次第でありま私なりの努力と幾多の思い出もごを通じて寄与したいと固く念願しす。ざいます。ております。かえりみるに、私は農村の不況いずれにしましても、大化の改皆さまのご健勝とご協力をお願最も深刻でありました昭和十年一新、明治維新に匹敵するといわれい申しあげ感謝のごあいさつとい月、西郷村書記として就任、産業る程のかの農地大改革が、終戦後たします。組合の事務を兼任、以来一途に農とはいえ、平和裡に遂行され、大村農業の振興発展に思いをいたし部分の小作農が自作農となり、き常北町農業委員会終戦直後の昭和二十一年末、G項びしかった物納小作制度が金納へ会長大高秀男ハンドルをもったらしめよ心とベルト-694‐
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