広報じょうほく No.174 1977(昭和52)年 12月
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広報じようほく昭和52年12月15日(3)保護司とは・保護司は、「保護司法」(昭和二十五年五月二十五日・法律第二百四号)に基づく「保護司の選考に関する規則)「昭和二十五年五月三十一日・中央更生委員会規則第一号)によって選考されるもので、一くちにいって、法務大臣から直接委嘱され、国の刑事政策の一部を担当し、犯罪非行を犯した者の改善更生並びに犯罪非行の未然防止に壷力することを使命とする非常勤無給の国家公務員という身分をもつものであります。保護司の数は、保護司法第二条第二項の規定雫より全国を通じて五万二千五百人と定められ、各地区、各部会の定員はいずれも法務大臣がその地方の実情に応じて定めるところで、私たちは東茨城地区北部会に属し、会員は十六名、地域は常北町、桂村、御前山村であります。使命世の中が進むにつれて犯罪非行が多くなるという事実、これは世界各国共通のものであり、いずれもその対策に悩まされているところであります。昔は荷酷な罰則によって犯罪非行の防止策としましたが、現在で保護司とその使命は反対に:これらの者に対してその改善及び更生を助けて完全な一人の人間として社会に復帰できるように指導援助し、犯罪非行の再犯を防止するとともに、その未然防止につとめており、これが更生保護の根本であり、私たち保護司の使命であるということができま-し」歩易ノ○わが国の更生保護事業は決して新らしいものではなく、すでに徳川幕府では寛政二年に刑余者のための援産所をつくってその更生を援助しており、更に明治五年、明治十五年にそれぞれの制度を制定して、刑期を終った者を監獄内の特別の施設に入れて、一定の期間生業につかせて社会への復帰後に備えたのであります。以上のように犯罪防止対策に対しては、昔からいろいろと頭を悩してきたのですが、昭和二十五年に保護司法が制定されるに至ってこの事業は更に強化され、今日に及んでおります。このような大きな国の政策を私たち保護司は数少ない人員で、その法に従って休む暇もなく黙々と活動を続けているのでありまして事実上、この面の第一線に働く国家公務員ということができます。従(・’て各市町村とも・保護司ようお願いいたします二保護司に今瀬敏二増井)電三三三○会を中心に、常にこのような活動法に基づいて絶対に秘密を守るの大高秀男(勝見沢)電二四二六を真剣に行っているのであります。でご心配はありません。所とみ(下青山)電六三七二毎年七月、法務大臣の委嘱を受余分な芽、曲った芽は伸びない柏恒(石◆塚)電二○五八けて、各市町村長主催で行われるうちに摘みましょう。大畠耕夫〈春園)電六四五六「社会を明るくする運動」も、更尚、当部会の保護司で常北町関生保護事業の一環であり、私たち係は次の方がたですので、ご自由東茨城地区保護司会保護司としても大きな仕事の一つにご相談ください。(敬称略)北部会会長今瀬敏一に数えられるものです。融戴舞篭懇優良運転者の表彰大きな更生事業並びに犯罪非行の未然防止等は、数少ないわれわれ金子さんなど七名に保護司のみではとうてい十分に成し得ないのであります。犯罪者予防更生法(昭和二十四年五月三十一日・法律第百四十二昭和五十二年度優良運転者とし石塚武井隆行号)が制定され、国民全部が犯罪て、このほど安全運転歴三十七年者更生に対し、その地位と能力にの常北町石塚金子一さんら次の七零家庭の日第一百曜日燕応じ、それぞれ応分の寄与するこ名の方がたが表彰されました。諦鴎灘嗣餓那鵜瓢麺て》蝿謡塞錨鵠蕊隣》◎ものとお金をたいせつにし》業に協力しなければならないことご尽力された功績により表彰され滞よう。になっております。たもので心から感謝とお祝を申し》年末は出費が多い》なにとぞ、われわれ保護司の使あげます。》・買いものの計画峠命を十分ご理解くだされ、犯罪者の更生保護と犯罪非行の未然防止・交通栄誉緑十字銅章の授与一・正月に備えた内外の整理〉祉王部や一垂舛》》試凱識恥僻却。二幅争喉上》事惟運転者鮭一率識拝碓露酌あい運動》な条件となることはいうまでもあ石塚樫村進粋・消費生活も合理的に蝿・十年以上無事故運転者却りません。最後に、ご子弟その他に、もし石塚大塚士郎稀正常でない様子が見えたら、すぐ増井松崎二郎紗#鞭常北町新生活運鋤驚篭輔われわれ保護司にご相談くださる下古内車田洋推進協議会赤なのにどうして渡るのお母さん-693-

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