広報じょうほく No.172 1977(昭和52)年 10月
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昭和52年10月15日広報じようぼくイヴ21J星昔は人生わずか五・十年と申しましたが、私はいつのまにか敬幸差云に招待される年になってしまいました。まだ、六十五才になったような実感は湧きません。しかし、年は正直です。私が嫁いできてまもなく、主人を戦場に送り出し、幼い子どもと老いた親と、ただ黙々と働き、子ども達を教育するのが積いっぱいでした。今は、七人の子どもも次第に成長して、高校教育までさせて、や.。一-口。.。.‐..・・・・厚一画・ロ・・・F一~・・・・・・・・~~一一口。…・一~qL・・声二一・-夕一・.~一~-.‐・一口・ロ-一・三..-....:謬;f『:;.B、.‐.、敬老の日を迎えてF古内樫当小島きよ|(↓|と独立してどの子どもも親となり、男女合わせて十六人の孫に一も恵まれました。昭和五十年の暮れ、長男に世を一渡しましたが、若夫婦は勿論親切一にしてくれます。外に出た息子たちも、割合い素一直で親切、敬老の日や父の日、母一の日には、必ず誰れもが、何かを一贈ってきてくれます。ボーナス時一には小遣いまでくれます。私は最一高に幸せだと嬉んでいます。この一喜こびを一人でかみしめているのはもったいないと思い、ついにペンをとってしまいました。これからは、子どもや孫の来る日を楽しみに一日も多く長生きして、十二分に子どもたちに甘えてゆきたいと思っています。今までは苦しいことも多々ありましたが、これからは楽よいことばかりを考えて、旅行や読書、好きなお裁縫、又、内孫の勉強の相手になったりして、先の少ない余生を有意義にすごしたいと思っております。そして、だれにも可愛がられる良いお婆さんになりたいと願ってやまない次第でございま半90はしん競走」「人工衛生」など盛だくさんのプログラムが組まれ、学校ぐるみ、地域ぐるみで一日を楽しみました。十月はスポーツの秋、各学校で萩季大運動会」と省つけ工とりどりの万国旗で飾られた会ゞで、さわやかな秋の一日をスポッレクリエーションに興じますここ青山小学校では、町のトシをきって、去る十月一日、盛大運動会が催されました。「へんうん磨きうかい▲赤かて,白かて…・・・電熱私たちの日常生活に必要不・珂欠の水は、現在、七ケ所の機場から町内のおよそ八十三パーセントの各家庭に送水されています。この機場等の管理をしている町の水道課では?連日、機場を巡回監視して、より良質の水を供給できるよう日夜努力をつづけています。|_.』-_L_____-公務員です▲;念入りに機械の,点検町では、農繁期の間、とかく放置されがちな農家の子どもたちをより安全で健康的に保育し、農作業の能率を向上させるため、毎年季節保育所を開設しております。今年も、町内六ケ所に一二五名の子ども達が集まり、十四人の保母さんとともに十八日間の集団生活を楽しみました。季節保育所▲ゲームでたのしむよい子たち(那珂西公民館〉一こわいみちなれたみちゆだんをすれば-675-

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