広報じょうほく No.148 1975(昭和50)年 10月
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広馴じょうほを昭Ill5(1年l()月15蘭☆沿革・概要明治八年、時沢に太古山小学校として開設され、以来、校名は古内小学校、勝見沢小学校、西郷等常小学校、西郷第二国民学校、西郷第二小学校と変り、校舎敷地も清音寺、ド古内上耐、又、分校は上古内に、そして昭和六年現在地へと変遷したが、卒業生二千二百余名の多きを数え、常に進展の百年間であった。☆創立百周年記念事業鉄筋三階建校舎、体育館竣工と創立百吋年の際会の年に当り、卒業生一同が母校に集い、恩師多数も招待して頁年を回撤し、報恩の誠を捧げ、会俊の学校の発峡に尽力しようという美しい趣旨で記念事業推進協議会谷長鯉測丈男氏)が結成され、次の記念転業が行なわれた。一記念式典二感謝状贈呈三記念品(灰川)四記念碑建立五教育備品贈呈(体育館椴帳、演台、ピアノ、エレクトーン)六記念誌発行(外に寄附芳名簿)☆記念式典(九月十四且古内小学校創立百周年記念式典盛大に挙行さる推進協談会主催により新装の体育館で挙行された。来賓三卜数名四十余名の恩師、三百名余の卒業生が出席して盛会であった。午後はかずかずのアトラクションで時を過ごし、全蜘による「ふるさと」の大合唱を品後にこの歴史的な記念式典の部が閉ざされた。第13回町美術展文化財展公1りI111)2111~241I灸甥|{v公氏航※絵llil・TII逆・彫塑・fIj:r'r..生花・色紙旭冊・(dl作作[JM'『皇工芸作nil文化11オー常北町公民館=▲艦大な拙念式典行八司つ名二城北ライオンズクラブな○社たの尚、湖嘉lh詮鮒鼠豊「世界ライオンズ奉仕デー」に奉仕活動を展開し方仕のにの。山呈度た々禍御のⅡ県と身・を動mif;H立慰陣一内股道11ズ同しズ1111召一二対"-ll」り席公間者、祥|冊j主をクしま拳を利一ノLIll:称をで、し1判・に湛常はし義期ラたし仕司五○○界に宜例ゴた登吋た北次ま的しブ.城たデ世○万○一慰言会ミ会山すき町のし本てで、北がl界年人○四間しをの貝道るり、辿た仕一もうこLラーのク六橘て|淵なはの兇老桂り・活斉、イれにイ○会ラケ動、きくIノliif『舞人村.でそ肋にこオに識オ月貝ブ凶を一、な一帰fill及のすのを人のン賛定ン八が、、▲城北LCの喉イヒ活動上げ山の久保田義さんは》この程、亡き春道さんの辿志として青山小準校と常北中学校にそれぞれ血万円細当の凶苫を寄贈されまi)土も石塚の斉藤新聞店主、信さんにこの程、水戸瞥察署長及び同友の会より感謝状が投与されました。斉藤さんは、去る昭和四十年より現在まで十年間の長きにわたり粥北答宗官幹部派出一所に対し、日刊新聞三種を無料でおくり続けて来たもので、この善意が深く感謝されております。☆斉藤信さんに感謝状頁〈保田さん図書を寄贈☆老人福祉のために寄附群鳥小二年生鰯米本一二い軒剛陸垂牢錯私認恥鋤....|・・市毛校優先生を通じて一宮樟価催鋤脈釧榊咋迄軒窪哨差弓鮭跡鼎鮭祁厚‐蚊隈愛いいそして美しい心に感謝し、町敬歩芸の部に使わせて噸くことにしまし秋のHは釣瓶言一るべ)落しといいますが、お彼岸を過ぎたころから急にHが短かくなります。空が真っ青に澄みきって‐!‐i秋の日射しは、目にしみるように白くなりました。もくせいの美しい香りが漂いはじめた十月です。十三Hは旧暦の九月九日、重陽(ちようよう)の節句で、またの名を「菊の節句」といいます。冷えこむ大気に咲きでる秋菊は、夏菊とちがって妾もしまって、その深みのある色とにおいは一段と美しくみえます。大菊、中菊、小菊と大ざっぱに分けられる中で、それぞれの花が名前をもっています。花屋さんで買うたびに名前をきいて覚えるのもまた楽しいことです。晩酌のさかずきに花びらを浮かせて「菊の酒」など、万事合理化の世の中ですが、くらしの中に古い昔の肌碓なゆとりをちょっと味わってみるのも面白いことでしよI。菊の節句人をよくみて正しき壷季-433-
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