広報じょうほく No.147 1975(昭和50)年 9月
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広報じようほぎロ召和50年9月15日(2)増井に住む、松崎千太郎さん(卯才)・とたれさん(的才)ご夫妻は今年も夫婦揃っての町最高令者となりました。白く長い眉毛の深からの「メガネはいりません」という力強いまなざしが印象的でした。たれさんも、今年で八十九才とは思えないような大きな声で「耳も目もまだ大丈夫です目と茶畑の草とりに余念がありません。千太郎さんご夫妻は根っからのお百性さんらしく、自分の好きな野菜はすべて手づくり、じっくり味わって食べるのが何よりの楽し共に歩んで七十余年今草とりにはげむ松'崎さん夫妻九月十五日現在で八十八才以上になられた長寿者は三十一名おります。その中で今年米寿の祝いを受けられる方々が九名おります。ちなみに、長寿者の性別をみると、男性が八名、女性が二十三名で、やはり女性の方が長生きしているようで、一寸淋しい気かいたします。尚、八十八才以上の方々は次の通りです。みたそうです。そして又、酒もタバコもたしなまず、夫婦げんかの経験もないとか、毎日、充分な睡眠をとり、規則正しい生活をしているそうです。この辺に長寿の秘決があるのかも知れません。いつまでも、夫婦お揃いで健康でありますように祈念いたし手魂常北の長寿者番付八十八才以上は三十一名新町一渡辺よし罪才新町三樫村つき粥才本町清水種松銘才横町一金長すゑ配才″飯村とき配才栄町一一青山さく皿才田町三の二飯村あさ配才田町一房三井坂四郎蛇才北米片根なみ甜才毎年行なわれています、七十才以上の方々を各小学校の連動会にお招きしての敬老会は、今年も大の日挫で開離されます。尚、・本年は、総人数八五六人です。布塚学区倣世会九月二十八日(打啄小辿勤会)小松学区敬七会″片根徳之介中妻・一永山はっ″飛田きち下組二丹下よ志西坪山根はる中坪浅野すき表《前飯田せむ八本下束松崎とめ石原南大畑三次本郷下西興野はる津部一興野くら津部二松崎千太郎″松崎たれ磯野二富永永之介後側西杉山倉之介川波内小野瀬ちよ″江幡なつ松山大森安之介宮方永山・とら古宿仲主すゑ宿西吉川きく仲宿二宮田あさ今年の敬老会89929389968889939289908991899197908989888889才才才・才・オオオーオオオオオオーオオ才才才才一才才才八月十五日の終戦一記念日武道館においての追悼式に、常北町四百十五柱の代表として参列させて頂き厚く御礼申し上げます。十四日午後二時三十分、端阿神社に集合後昇殿参拝を行ないました。せみしぐれの残耕きびしい日でした。明けて十五日午前九時四十五分五百人の機動隊か警戒する中を武道館に到潜、十一時五十一分、載菊白菊のほのかな香りの中に一同声もなく締まり返る中で、山下厚生政務官が開会の辞、続いて三木首相の式辞c一蹴んで戦没者の要荊を祈り、遺族各位の変ることない深い悲しみに対して心から卿怖叩し上げま正今後の平安を祈念すると共に、吾か脚の今後の平安と繁栄の為に全力をつくすことを無うものてあります・」というありかたき言葉を皿きました。正午、中央の全国戦没荷之誰の前に川陛下が進まれ、参列者一M一分間の黙とうを体げ、続いて陛十月一日(小松小運動会)青山学区敬老会十月一日(青山小運動会)古内学区敬老会九月二十四日(古内小運動会)第十三回全国戦没害追悼式に参列して下のお言葉、衆参両院議長、雌高裁促官、各界代表の追悼の辞かあり、妓後に辿族代表、広鮎県の沖藤みゆきさん(詑才)が「私達道族にとって、今年も亦忘れることのできない八月十五日かめぐって米ました。愛する肉親は永久に肘って米ません…:…」と、戦死した夫に語りかける様な一言一言ゆっくりとした涙の追悼の言葉がありました。これを聞いた六千人の遺族代表の誰れもが.同じ茨の道を歩んだ者同志、ハンカチを目にあて、その胸中は感激の涙のみでした。皇后様の御目にん涙が光っていました。その後、各県の逝族一名つつの代表献花かあり、一時間で式は終了.し,まI)た。以上、全国戦没者追悼式のご報告といたします。慰雅塔我等の道は催ふしほる平和を祈り菰菊に黙す二匙,FJI山寺ノ剛土-422-

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