広報じょうほく No.145 1975(昭和50)年 7月
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昭和50年7月15日広報じようほを(隣第三回世界少年レスリング選手権大会に笹島・大越両君出場来る七月三十一日から八月三川まで、カリブ海に浮ぶドミニカ共和国の首府サントドミンゴで開かれる「第三川枇界少年レスリング選手権大会」に、常北中学の三年生、笹島利一君が三十八灼級に、又、大越雅人君が六○均級に、それぞれ出場することになった。両君は目下、常北中学校教諭・近藤清コーチに指導を受け、練習を重ね、七月二十六日午后東京羽田を出発するⅢを侍っている。両君の雌闘を期待するものである。尋虫イ病粒しす小中をに<旬とジの商i尚まば雨散六行、i"Iの常イエ防を、しらま布IIなへlノ1二北モツ除使第たしじがこい’ノ約IW町チトをつ一oいり行’.ま。’凡’にで・病微、て¥"¥成のわこすプ三わはの粒第二目果天れFlタ○た‐防剤二化はを候まは|へり六除をI"lメ、あとし、にク、IIが使'二Iイキげなたそよター下行つは虫夕てり。のるI部旬わて、とチ終まあ第農ル地とれのヒイオ了しい一薬の城ノミまカノモンいたにla倣水を肘すメバチ微たが<空布ii!除’三0第一回空中農薬散布実施第二回町中央婦人学級一・日時七月二十七日(日曜日)一午前九時!:十一一時一・場所町公民館一・学習内容一「着付教室」一・講師笠間市農業協同組合↓綿引淑江先生.1.1,1,←‐1,1,’’1‐1.1,1.,1●・’,1,1.・’め流か卜支発り在えのさらツ流』liま,急す防貯ず.流プの業すピる災砂、れさ上とがツi雌ダダ余出せ流し、チ井ムム中す、かてこで、川か工で上或ら、のエダら事ス石い流膝聯Kム多がトをはれ井粟がへ11、ツ藤、!¥¥川と進安的現プ井藤すに同め渡ダ在さ川井一上流じらーム地せダII石人総れはにノじるムlさをす合て、火開たに流スる1冊lお呪か樫当貯砂ダム完成近し~一一一〆~寺蕊旦壷輯竜錘今『難凄…産#言す貯lノ、J没呪械卜だのにま係・砂#常Xft約ルこ戒J己貯‘附す尚ダ郷北>lfは--,のを’11f砂北・のム地HITが、.i1.Jiダ’1をダmra一Iノ、I地統林ノ[さムざもムIノ、]ノJ〃・の|人jけ辿へ一はしつ・・でをが膝にらのク○、てて〃・は僻述井はれ付ダメ長工、が、てi没川、て祥11さli今約Iく進・さにこいえルl、Is4'年八Tirめれ、のまとのル八で‐'一千内らるもほす永脱、・す11二樫れ予うか。久牒1!'i:ノi・下百当て定一下橘で水メ伽万地おで、つ古架、而’のI'l内り霧筆志夢謹鍾露I錘患拳一…中元」と云うの便もともと孟蘭盆(うらぼん)の行事で、正月十五日を「上元」十月十五日を「下元」として祝うのに対して、七H十五日を「中元」の佳節として、この半年無事に生きたことを祝ったのが始まりだといわれます。今ではこの上元と下元の方はすっかり忘れられて、中元だけが夏の州り物の代名詞として残されました。元来、人に物を噸ると云うことは、贈る人が蝿られる人へ感謝の気持ちを現わすものですから、贈る品物にはその心がこめられていなければならないはずです。贈り物は人から人へ手渡しが礼儀と云うものです。お年玉、お見舞い、お餓別、お土産等さし上げるときには必ずひとこと言葉をかけるのが常識でしょう。遠い所の親戚や知人に贈るにしても、品物の中へカード等使って感謝の言葉を書き添えるなどの心がけがほしいものです。お中元-413-

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