広報じょうほく No.134 1974(昭和49)年 5月
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発行苑イテ者EIlA1111所昭′f[j49年5月15日茨城県束邑炎城郡粥北町長茨城県東茨城邪常一化川No.134jF石関稀i雁実可f名産瀧‘.遅椎漬や管.窪咋}一〃r幸恥へ、。“万二・・〃.一・一[〃辛魁『うとおい茂げる緩るやかな傾斜のある参道を登ると、名利清音寺の本堂がある。際…「古内茶」の生産始まるその本堂の東側に一株の名茶「・榊』酢」がある。‐みずLこの茶は清音寺を開いた名僧復あんぜんじ庵禅師が仏教の研究のため支那、ぜんげん(今の中国)に渡り、支那の禅源逮蕊線難蕊i瀧JJJ鷲識溌寺から℃嘉歴二年(今から約六二○年前)に帰国の時茶の実を持ち帰り播種されたものだと伝えられている・徳川半圃は石塚を経てたびたび鰯溺一鯵酔詞蕊胃耀(トップを切って古内茶の発祥地清音寺での茶つみ》清音寺に参拝していたが、時の住職が煎茶を差上げたところ、光囲がその香りと、おいしさに深く感銘し、その由来をたづねてその茶樹を「初音」と命名したもの・この茶も当時は寺領内に限り作れることになっていたが、光固は広く栽植すべきであるとして、普及したのが「古内茶」である。名産古内茶の作付面積も増して今では総而批約三十ヘクタール、製茶工場も十五工場をかぞえ、まさに常北町の特産品。今年は四月下旬の遅霜にあい、茶園が枯れるなど大きな被害を受けながらも新茶の生産を開始、人件慨や燃料代の値上げも影響して加工賃も生葉一キロ六○円のアップ、したがって製茶の小売価格も普通ものでキ口当り三、○○○円位になる見込み、昨年よりかなりの商値で各方面に取引されることでしよ、7。「一一町の人口一崎相男女2,618世帯10,568人5,079人5,489人(5月l日現な)国体へ.示‐せまどころ花のまち-q/17-リー↑ノ495月号今月の納税固定資産税第1期分国民健康保険勅第1期分自動車税全期分
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