広報じょうほく No.131 1974(昭和49)年 1月
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広報じようほ〈1月1日昭和49耳(3)好二・.・・一・・二..呂・,呂・.》顧みま《すと、わ一が常北町一は、本年一をもって』発足以来一町民のみなさん、明けまして}おめでとうございます。}ここに希望の新年を迎えるに一あたり、皆さまの御浦稲と御繁一栄を心からお祈り叩上げます。十九年目を迎えましたが、年とともに発展いたしてまいりました、町村合併当時を回想いたし》ますときまことに感慨無逝の一ものがございます。》私達議会人も、町民の皆さま一、…一一シ…ハーンージ…ハーーシ耳シシ……一一一W力し合おうという理解に立たなければならないからだと解されマタ◎教育はこのような理念に錐づいてなされる作用をいうと言われ何をおいても雌優先されなければならない。る社会のよい社会をつくりお互いが幸せに課してい〃くために協雌近一生派教育」という言葉が仙われています。人は生脈毅育を受けまた自ら学び数錠を賊みなから生活をして行くことなのだという意味であると言われる。私達はお互いが生活している社会の一巨貝として自らがよりごr・・ごrロ‐〃Lロ‐K、ご‐、‐く”K・〃’垂・く・〃Lロ空’二・〃0-・伊」、“’二‐ず巳二・ヶ。、”r』・二・一‐毎・・・・、、“ロ。。“”一・毎・、.”・口々‐二・写・画・字、、“目・一‐一・く・”・口々・二・一・毛・幸、こ“g、“”』・字、。‐F・口々里、幸・』・毎・。・・・。.‐』‐毎。、.”、、”。、。ご・.・、。”・邑毎毎・、”.”、..毎.一・、ご“p毎.”。.”.・・.“.}の御支扱を唯一の力と・して、常あります。北川総合計画のⅡ標である「蝿か昭祁川‐トー九年こそは‐謬剣力剖川な住みよいⅢ剛都市」の雌設のた北川の蹄巡の年と‐‐)て、町政全一め懸命の努力をしてまいりました般において雌大の怒力を側注す一が、一万余の町民の皆さまの猫祉る所存でありますから、なにとを増進し、町民生活の安定を図るぞ倍川の御折導と御鞭維を賜わ幸い常北町に一Wして教育優先の姿勢をとって来ておりその成果も見るべきものが幾多あって昨汁ばしい限りでありますが、限りない教育行政のこと決して充分とは言えない、これにはいろいろな事枯等もあって容易に描世されたい面があることはすでに承知のとおり常北町教育長であります、しかし私達は前段に申しあげましたとおりの理念に従って出来る限りの努力をはらわねばならない。特に子供達の教育。寸時も休むことなく成長している子供達の教行これは数青する側でも休んではいられない、成人数育にしてもまた限りない問迦がある年頭にあたり年頭にあたり指導者の不足、施設の不足がkげられる例えば子供会、単位老一人クラブの災り場所ママさんバレーなどの場所など部落単位の公民館と言ったほうがわかりやすいだろうが容易に喋り得る施設の盤備は社会教育をす、める上に優先して解決しなければなf牌力〔ず雄ま上.で皆。L・…一寸…ハーーハハーーLヘーー…”ピン……ハハーーー/……廷一才L"--工事も順調安渡の簡易水道工事総事業曲二千五○万円を投じ、昭利四十九年四月一日から給水をめざして工事中の安彼地区州易水は端々と工躯も順調に進み、配水池やポンプ室もほぼ完成、これから機械の取付け、流末工小を残すばかりとなりました。安渡地区の簡易水道が完成すれば、待ちに待った六○世帯三○○人に給水されることになります。安渡地区簡易水道の完成によって町全休の肥%の人口に給水となり、今後は残された上古内、下古内二区の地域についてもダムエ小等とも関連して早期瑞工に努力して行く計画です。古内小学校はいま近代的な校舎に生れかわろうとしています。・設計によると(日立木材地所KK)鉄筋コンクリート造り、3階建で、1階は皿坪で特別教室2、珊貝室などを含め皿室、2階は唾坪で、特別教室2、普通教室3ほか、3階は脇坪で特別教室2、普通教室4といたれりつくせりのデラックス校舎といいます。小池工務所が施工に当っていますが、何しろ鉄筋、セメントが主な黄材の工事だけに、苦境に立っていますが、新学期のはじまるまでにはと懸命の努力をつづけています。工事を急ぐ古内小の改築-341-
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