広報じょうほく No.129 1973(昭和48)年 10月
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広報じようほく昭和48年10月15層(5)茨城県の教育長会長・全側教育長会の理蛎を勅められて来ました前教育長流・水先生の後をうけて、このたび常北町の敬育瞳として就任することになりましたもとより浅学非才その器ではありません挙にあまいお受けすることにいたしました。しかし教育の途は速く大きくそして厳し寺ものであり散すだけに更に決意を新たにするも認凡教育行政に力の限りを尽す馬F鞭翻常北町教育長今瀬茂黒全剛教育のでございます。牝て来ました幸い前歴代の教育長さん方の紫一陸をうけて、紙は慨めて多大でありその雌雛も一皿隆として就確立しておりますので私は微力で》碓症り郵畦“他心か権萄細推柚雌詫牝州垂恥排今が町長はじきくすることに数育行政の面から一め議会の各力の限りを尽してゆきたいと考え一位、更に教ております。育委員会のどうか旧に倍しまして御指導、(皆さん方の御援助を賜わりますよう切にお願一温かい御惟い申しあげ簡単で要を得ませんが一句ことにいた就任の挨拶といたします。譲懸§1謝鍵(写真は改築されることになった古内小学校)古内小改築工事始まる工事費8,500万円で3月完成を目ざす在職四十年の教育者の生涌を終った私が、初めて郷里のために肋く機会を与えられましたのは、昭和三卜五年一月二十六日でした。浅川幸一さんの後を引き受けて教育委興に脈命され、町の数育行政に参与することとなりその後凹進を受け今年九月三十日の征期常北町では今年度の重点事業として、古内小学校々舎を改築することとな')U!月5日に工事端工いたしました。この古内校は、昭和6年に建設されたもので老朽化がひどく、すでに危険校舎の指定を受けておI)ましたので、改築計画をたてて設計には、日立土木地所株式会社があたり、9月17日常陸太田市内の小池工務所が8千5百万円で落札し、来春3月完成を目桁して突i'i工事に入りました。面目を一新して生れかわる古内小学校々舎は、生徒数わずかに1-3名ですが、鉄筋コンクリート3階処て延面積1588平方メートル普通教室・7、特別教室6など大・小27室が設けられる近代的な校舎となr)ます°よりよい教育の場として、よ')よい運営を期待するものです。油了を境に、十三年十ヶ月の行政狐当者としての座を退くことになりました。その間三十六年十一月一日に教育長としての任命を受け三期十二年の行政実務を狐当したわけでございます。眠り返れば誠に長い年月でした退任にあたり前術北川数が農岱水循定かそへい時々の町隆さんを始め町;1部椛に脚瞭の〃ん、及び縦会、敬育委貝、町此各位の稗意に支えられて、掌に‐大過なく、その柾務を果し終ったことを心からし綿こんでいる次弟です。厚くお礼叩化げます。秘しの在柾中を旭じての数行に対する鵬念は川発展の根本助力は教育である。ということであります。町がその向うべき方向を吟味確立して進んで行うとしても、之を理解し協力する力と粘神がなければ、その目的を途することは出来ないわけであり、その意味では、prDー=一里二F●ロモロ、-、"0房皇小声■矩マ●一一,〆。、=■一一D『しb、、DhDpqbLqDpdpbb~DDdウrbb、,。けロロもbq,・ロP■ロbN・ロ芦p、.,。ー、■・ロ。■△be-pqF■q宅,ロ韓ロロLP.qDbロロロ5.,口q1,口'9叩,ロ◇Dbqロ.,■qI宮狩猟シー・スン来る申いいし傭は唯そ’)」。.全fi以お光なの町上ごとて職条私本の多勿を体とのけ突多け数のげ交存の場でのをa,術企の社もるしくれ養発ま誼じ生をご終な的でI'IIM意会の桁、のばと侭すをま活退ざ始すであ論す慾数はj県そ投な能は。賜すをきい一もはり体るを汀、肘の登ら力‘ルliわの通まま^4"のな、行こ,;,の之の設をなのすりでししすしがい数政とめ光を研伽辿い1A」るま、てて・て数.行のに、実辿修をじ。上とす今奉も変f『けだIノ、I外そをじを略てにこよ後仕常らでれけ存なのMて強え粒あろう共い北なあどがはら漬つ、化、行る町お変た町いるも決I上〈な!('〔て学す毅施と腿馴らし民椎こそし汎いの町校るfi.没い各いなたと本とのてあ。iilw数所にをわn銃の管理は厳重にしましょう)、ノ、、丙一一戸至一.,一一全戸・蛤,.‐.、一へ‘・〆・‘~へ,一~一一,.h,、,色..,."h-~~一~,.‘,・・輪画.ロ寧・,"h‘-qql-UJI
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