広報じょうほく No.127 1973(昭和48)年 8月
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広報じようほく(3)昭和48年8月in日地名の起因はいろいろある日本にしても噛葦原瑞穂国名は土地の肥沃を意味し大八洲は八つの大きな烏より成っていた、という所より名付けられたことは人のよく知る所である。「日本」という名は古事記にはなく日本書紀に初めて見えている。推古天皇の代小野妹子が階に使した(道附使)とき日出づる所の夫子、書を日没する所の天子にいたす、っつがなきゃ云々(原文淡文)この辺から日本の名称が生れたクピライものであろう。元の忽必烈の時イタリヤからマルコポーロという人が来ていたが帰ってから東方紀行を書いた。その中に日本が支那音で書かれ、ジヅポンというのが転化して、ジャパンとなったと言わ』宣口れている。こんなわけで因づて来る所は深く我が常北町にも十有余の大字名があるが、その起因を探ってみることも一興と考え左に略述することにした。勿論一説であ常北史談(2:常北の地名十一大字の起因烹藷~盲-○上泉片山からこんこんと湧出する泉より出た名称か水府志料に『康安二年佐竹義鰯の談状に中泉、下泉の名見ゆ。その頃は上’中下の三村ありしものか今は何れの地か不明・・・』とあり。○石塚石上郷(前号略述)に、人民が祁居せる所という意味(新糊術陸国誌)人の塚、即ち人の沢山集っている地という意味である。古書に戸数凡そ一五九、水戸まで三里、上宿、中宿、下宿、田町、新町、横宿などという宿並みあり、此の地及部垂(大宮)太田を三大市場と称す云々とあり古来人家禍密人口繁多の地であった。⑧那珂西寛永十八年の検地帳には中河西とあり、那珂西の地名は(前号参岨)郡名の辿鴫か(水府志料)るから異説も‐ることと思う|紺災'家が塊州{,fj主illj&Iゎflる安披F1)った'んぶ子国民健康保険税の本算定膳毎年8月に行なうこととなっていますが、別に詳しく『国保のしおり』をもって、町の国保事業の実態を加入者の皆さんにお知らせしまして御理解をいただき、御協力を賜わりたいと存じますので、こ、では、病気と医療費の関係について簡単に触れてみることとします。医療費は、毎月のように増加して○上入野村名旧入野、上入野、下入野と、分れてあったが慶長七年の頃より上入野となる(詳細新細常陸国誌参照)享保五年に金伊野と改めたが文化中旧名に復す。入は奥の意、入彦、入姫と同意。野は平坦地の意。人野川(今の藤井川)の奥の平坦地という意味らしい。○増井この地に泉がいかなる日寺、照り(大早)と雌も個るること力ないという所から益井といった。これが転じて増井となったという。○小松小松内府平重盛から出たことは言うまでもない。○磯野不詳古くからあった地名と思うく地誌に戸凡三九、水戸まで二里拾町とある。○勝見沢かつみは菖蒲の古語で沢は山間地の意、(花菖蒲の咲き満ちている山間の平和境の意と思う)国}僚善《と一国据保のいま・…)’て一現・在町が支払う一月額に一千万円の大台にのっているのです。当然のように保険税も昨年に比べてみますと相当額の増というどうしても避けて通るわけには参らないカベに突き当っているわけなのです。しかし皆さん、誰れもが健康のときには、サホド気にもとめないことな・のですが、病は、重くなら美I塀境、平和な郷里でここにる。長賀博士の大日本歴ゞ史に東国古は二三の戸が安住していた。図鑑外記を引用して檀君はすさのおのみことの御子で木の実を筑紫○古内昔は古市と書いた。附塗’1より大八洲(日本)に隅なく播種狐牡侃榊函榊蜂都咋、「鍛識師理岬靖仙津城蛎準唯識搾示恥鐸畔晴仙時伏臥之山云々(淡文)とあり叩たものであることは確であろう。時伏臥之山は浅一房山ということに後に上下二村に分れた。なっている。フシフジが転じて古内牛伏藤内となったと言われてい○春園野田村鎮座の春日神社と宗田村鎮座の花園権現の両社を天CO保十四年十二月二十五日合社春園○安渡源義家が奥州征途ここに神社と奉称、地名もここより出づ伏兵ありとして頗る警戒したが、と考う。無事に安らかに通過が出来たとい◎常北という町名。『フ常北全町民より公募した五九九配迅○小坂不詳名は実の寅という力通のうちから十三名の審査員が出地勢に小坂が多いのでこの名出づて決定したもので常陸の北部に位るかとも考えられ又逢坂の転ともする平和境の意味である。常は穏言われている。水府志料に笠宮を・健中正で和協を意味し北は枢軸で技し小坂の名も古しと記されてぁ確固不動の態勢を形成している。る。以下略(常北文化物語参照)○青山青山神社の祭神は五十猛筆者常北町文化財調壷委員命ですさのおのみことの御子であ所常蔵鼎いないうちに治療するこ・とが第一です。軽いうちになおすことは、皆さんの苦痛も、負担も軽くてすむということです。日頃から自身の健康には充分意をとめておくことが大切です・早期発見も早期治療も、皆さんの心がけ次第ということですし、そのことが、即ち、皆さん方の保険である国保の台所の健全化につ〃℃な力るものなのです。皆さんの、チョッ卜した心がけが、即ち大きか力となって、国保を支えているということを、もう一度、みんなで考えてみましょう。-319-
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