広報じょうほく No.72 1966(昭和41)年 7月 号外
1/2
7月号外No.72宅和41年7月20日発行、祝農協合併特集号発行者常北町長大高秀男編集者常.北町総務課(各戸無償配布)農協で拓け農家の活き.旨るとI道股薬のきびしい現状の下、展愛される組合となるべく努力いいよいよ、常北町四農陥も合.家のあらゆる相淡相手となり信たしております。1I併が本きまりとなりや9月1日噸される股筋として、すぐすぐここに旧来のご協力を感謝Lを期して新らしく常北町農栗協と育ててゆきたいと念狐してお斬艇筋の発展を祈りごあいさつ同組合が股民の大きな期待を荷ります。といたしますしない発足することになりました従来の西郷股協は、惚陳の非思えば昭和鈎年町当局によつ幣な信頼歴うけ、踊耶業についゞ合併蒋集管が刊行されるにあたり一一宮ご疾拶甲しあげます妙四股脳の合併につきましては昭机調年4月股筋合併伽究会が藷成されてより、会繊藍型ね又先進地視祭を行なう等研究をなし、昭和⑩年巾月合併砿進協識会と改め、県及び中央会のご指も夕Ⅱロロ。。夕I■″ロ。。e■〃、JFe》●、J仏ロ守口.。■、口Lp5・〃も一夕■ロ.ご挨拶町内四つの股協の七〃十日十・一日に附かれた合併総会は、腺案どおり九月一日発足と議決。。。。O、夕Ⅱ。。・・配qDr宮・亨。Jrも〃ロ宮・ロもJnⅡ。。白面L■■、。。。』0、〃且ロロ。。〃uDrp・・・0師もJ・・・“亘乃毎、3..宮一、■8、ロロワロ8、〃1自白BJJ仔一・”・山・rprL・・凸FHJ●・口早宮。。〃、〃ワ:。ロー日刊ワ・・・Lご挨拶蕊鯛溺蹄諜以来実に旧年の間一回の赤字迫西郷農協組合長(農、放組合長)見ることなく、引続き、健実な鯉洲丈男歩み惹つづけ今日にいたりました』・合併後も、この輝かしい伝統とllblIIIII戸写、濯副‐にIHu両巳吋礼埠司訓唾・・し一己IAFこ常北町農業協同組合誕生石塚農協組合長大津〒・・・三合併問題か提唱さ正て以来産組以来の歴史を新組合に移衝百余回ぬ協磯と数回にわたる部し豊かな新展村の建設に迦進い落腿訟会を洲ざ、衆知をあつめたしたいと存じます。あらゆる検討を加え、県や中央また、農事放送農協といたし会、町当局の援助と相まってかましても、迅速、親切、丁寧をち得た尊い成果であります。モットーとして、真に組合員に津彦市導をいただき、一方、組合員の意向を伺うため座談会を開き、合併のPRに努め、昭和“年2月弱日推雌協議会の職に四鯉協組合長か推進協調会畏仰立会の下に予鮒契約杏に洲印し六月一日発足すべく努力いたしましたが蛎愉がありまして芯の如くならず延引いたしました。幸い関係者一同のご協力により9月1日発足をH裸に、7月把乱ロ日総会を開くことになりました喜びと同時に、責務の爪大さを旅感いたします。座談会の席上叩しましたとおり、滋閥指導室を充実し、これを中心として事業を進め、地壊経済の一翼を担う農家経済の向上と心豊かな生活基盤の確立のため努力する決意を固めております。(写真)石塚農業協同組合新たな道を棚拓する農協の前途は多難であることは覚悟せねばなりません.新農協目的達成のため、関係機関および組合員各位のご支援とご協力をお願い申しあげます。一一一.・生みの対]・‘‘咋一み」といわれま寸が、生むこと、川脳することはむずかしいことです砂股協合併も仰揃が永かったが小洩を袷て大地についたため新組合の挺生密見るに至ったもので、誠にご側腿にたえません。私のところにも欠仙があったりしてご配幽に測ったこと、感謝しています。古い組合への哀愁かも知れませんが今から十何年前、期井田Ⅷ七十ヘクタールの耕地脇理をⅧに股剛で耕辿樋新生を祝って小松農協組合長飯村保治函画一津‐》一;一‐」:…--魚.準雫熟笥鍵.愚畔‘鯵一霧…、1.シ鷲詳苧…、寺『0画ざoUI1ItlIFIIIq。,・・'・qOIIdIIlljIII1b,。,。。‘'1411』llI『'14,.,,.,dUI1I1IllI$'10..,..,.UDIIlllII』1010.・・''0011111Ⅱ1411,,‘.・・・,,叫11帥●大泰業は水遵廷光を蕊う一記‐』烹言農協は勝氏の拠りどころで推進力が大きな役割です。組合員が少なく小規模江農協から大砲農協の出現で農民一人貞女が今こそ本腰をすえて農業の二台を買い入れ僅械化には跡地確理がどうしても必要なことか眼に訴えました』同槻のおかげで耕地整理ができました。何磯は当時お粗末でしたから一年たらずで肱Ⅱにな、股協は仰ぐ貧乏しましたが、耕地糖理の鞠写真(左)農事放送電話交換室…一一一■ゥI園篭割に≦-m・--2-一ー近代化にとつ組むことが出来ます。純全な経営は資本の蕎積にまつことが多いが増資も趣を端めて牛を殺すことなく、あくまで腰民あっての農協でありたいと念願します。等一二・(写真)泊事放送事務所と架線凝今蕊P,,ダー学-一-141-
元のページ