広報じょうほく No.54 1963(昭和38)年 12月
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広報じようIま(4>一九六一牢も残り少なくなりました。この一年をふりかえってみると、いろいろのことがありました。三眉大局町怪に空り、就北商校の独立、公民館の醗備、士木串業の極大、保魂砺再国保頭柔の固預竃浬の1癖仙は昨年の11月ころから、全地邑〈田.畑、宅地.山林、原野)にわたって行なわれました。いまその麺1に↑“されておりますが、らぃ牢からこの新しい仙F柊が適用されることになります。(写奥は畑の評価をしている職負)ことしは遜恭の当り年。2月町憂遜恭、4月県議麺、9月鍛淀湖迅、11j引総遡挙と選顎顎移を取扱う珊世(総湧瓢)では、臨時臓幽まで動画して多忙をきわめた。同時にいつの避不も公醜にと宣伝カーなどを巡回させたが、イゴ桁1毛・の自覚も高まり…率もよかった。来審は大切な町蟻避があり、“耐おさおさ怠りない。霧蕊充塞等な・・・・・.町墨のみなさまの藩しをよくするためのしごと病希左と進みつつあります。数枚の写蕊でことし一年をふりかえってみましょう。(写冥右)今春2月に行われた水戸一宇都営線2級国適昇柊祝賀麹ま関偲{11.吋の大きなよろこびで、配設泳宮蓬はじめ同会識風、兜剛タ31事など多くの来賓と関係者多数が鮒北中体育館に桑り、盛大に万なわれました。灘錘繍鍵織難灘繍厳驚灘蕊簿溌鍵鍵鍵雛識蕊鰯鱗蝋墜識羅繊灘雛籍職撒罷妄町秀き大へ常北町行政損構図昭和38,12,1現匡列:新:しし、年を迎える伽に、ま;..........:ず今年のしめつくくりをしよう。1人1人が今年のことを反省することはもちろん、学校や職場での灰・宙会.謹族の飴し合いのうちに、自分の気づかぬ意見がとび出して来年の酎圃をたてるよいヒントが{私られる。(散育警肌灸〕(脱青長)癒繊耐鯉l(沢擁幽醐所)(醇寂医)堀田太(小船砂個所〕(齢鯉匿)大坪柵(助役)介井斤剛嬢T※(噂ri弄碓(岬入”)列同州剛州幽[祁鯛(、頓聾貝灸)綿握任)別l[軸州(醇寂医)「官川戸浅野大坪旧姓.,[封軸:年:末から牢始にかけては食べ卿の禰要:.…..…・:が盛んになるので.品磁の悪いものが鯛廻りがちです。保.存にじゆうぷムノ注意しましょう。;寒字さがきびしくなるにつれて火を扱き;........,.;ことが多くなります。空気も乾蜘して年末のあわただしさから火淡力f畑えます回くれぐれも火の元にごYj里意を。壕;窯潔患鶏篭雛蕊淀潔撫#難灘鍵;職亨スタミナ雲這STAMINA誌潅いむつなや二季'_!}H〔隈長今顛。:江幡・F(陳・長〉.具野区卵嚢島喜代之介I片潤守門嘩遣釦介井幹、j代々木英夫。:栂蹴三郎修山栄回鰹金粁阿久派正削〔原是)戯堀榊次劃介井河l園稲磐前陽子一水単子Ⅲ上寅之介佐繭政之介‐軍岡野列。’田、側〈髄長)大煩仙之介汀下再志I川叉次卯飯付,咽子・卜富氷幸列嘩悪擢号人『~J_小典団蚤111野価,:岩一.勘・謁夫一ヵF:茂‐[鋤岬千み上敵も次土光正需緋p】広,上サロニ牙恵か代くナ子の冬子上列桑子例火子〃卯閥江子光閉Z,陛恩津除夜の鐘I大みそかの夜のことを除夜という。一年の除かれる夜という意味であり、いよいよ年の終りの近くなった十二時少し伽になると、あちこちの寺で締をつ会ほじめる。「百八の蹄がつかれて..….」といわれるが、百八のぼんのうを除くことになぞらえて、除裡の鰍といい、醗後のひとつ蛍知義年になるように打つのである。古人の句に節ついてことしへおりる勢かなというのがある。師桜に登る時は去ヰであったが、つ芦終っておりると芦には、もう新年になっているという煮昧である。》一あとがき準一剛けましておめでとう。…。.とごあいさつした「厩報じょほく」も、はやどうかよいお無を.…..という月になってしまいました町のうごき、町が知ってほしいこと、町壁のみなさが知りたいことなどをせまい紙伽に密いてきましたが、なかなか声きつくせませんでした回らいね粕こそ…。..といつもながらの皮営ですがしています。みなさんがたの腿報紙になるよう、もっともつとお叱りのことばをいただきとうございます。ご畑醗でよいお無をお迎えください。◇零語のスターメンは花の「オシベ」を、スタミナは「体力」「糠力」耐久力」などを章隊するがもともとは人間の「狐、の糸」、すなわち「牛術一とか「秤命一のことだったわけで、すべて万物の根本的繋裁といつ溌昧から変化してきたものである。◇野餓などで、スタミナ不足で後半打ちこまれて敗叩投手になったなどというが、これもスタミナという馴叩の糸にあやつられてのことかもしれ燕い。wきせつの“wわだい“-104-

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