広報じょうほく No.38 1962(昭和37)年 5月
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服じょ写厩ほ昭和37年5月15日イワ、、臼ノこんどこそ悔いない一票ことしは、昭和三十一年七月ますが、二院制をとる珊由は第で細織さ肌ています.に行なわれた鰯叫回参媛院通常一院が完全に悩民を股表してい地方逃出繊凶は、各都道府糸選挙で選ばれた綴旦の任期が七ない場合があり、似足の意兄をの区埋を巡挙区として、また全月七日に満了するので、改遡の出来るだけ国会は反映させ、第図と一の選挙区として遡剛されための通術選挙がこの七川一日一院における行き過ぎを抑制しる。また任期は六年で三年ごとに行なわれます。識馴を棋重かつ合理的にさせるに半数づつ改避されます.。蕊》織鶏雛騨舞吸選一J蕊垂嵯一関心がうすいことが大いに影群には、第二院が,i・」・鴬●痕・喧令:。.J:……・‐。.:“・・・,巽肇亭:』・・昔.…:籍.しているのではないだろうか権割識榊唾耐準幽裡函睡岬津荊参識院に解散は・参ゞ議院は衆議院参議院は、衆縦院と同じようないの行き過ぎ抑制に「全国民を代表する選拳された議員で」組織されるが、|一院そ》唾稚渉紳岬鋤恥鋤哩御津称わが園の国会は衆議院と参議制の意義を発揮させるためや・衆れることになっており今回の通院の両院で構成されています。議院と異った櫛成方法がとられ常選挙は、昭和二十一悪四月の国によっては一院制をとるもていますつまり参議院唯地方選第一回通常選挙から数えて第六の(フインープンド、ギリシャ)二出議員一五○人と全国選出議員回目にあたります。この選挙ほ統制(英米)をとるものもあり選一○○人の計二五○人の識貝七月一日に行なわれます。ま加をるめと収f謹躍溌驚認こす入し痛熱るこ優納三の・しか感意方オL秀率十辛雌絃噌蝋&I窪納噌介溌篭鯛曹篭税噸¥珂今灘五第4脅譲縦餓調細賑織;“一;継難;藤謹撚湖,卿繍…隼…でリl手鱒:篇黙購鰯職術蕊漂。て、うか業てて税ま洲をが賦一に第下笑、らの戴お組す愁八確課の賦一さ顔進、一し、り合、ぃ月定い額課期るでん他つて、に町た納次たをさ分よ全で人とお毎加とし期第し第れの蛎塞|-危険な農鞠…-……-8年間に!"人が死亡〔県)||誹溌灘撫鰯蝋使用後には正しい処瞳を便ハルた後、衣服や器具柱石けんを使ってよく洗う,使用した空ピン,空袋Vj勝手に桧使用についてそのくわしいことは農協の営農拓押員,実地拐導員におたずね下さい。参議院に解散はない~琵初めと絡わりの投票柏.岡しのぶ選挙がたけなわになると、八十五才のお滴ばあさんは、がぜん忙しくなる“「自まん党.’ぴいきのおばあさんは、街頭油鋭立ら合い油脱にもとことこ出かけ、いちばん前のほうで耳を傾ける。聴きながら、いちいちうなづいたり、ここぞと思うところでは拍手をしたり、なかなか熱心である。「みんな、自分が当選したらすぐに物価が安く聯らしょくなって、遊路もよくなるみたいにいっているから、いやだね。だけど「じまん党」としての政策に気に入ったものがあるから、わたしや好きなんんだよ.それにこの年じや、こんどが最後の選挙になるかもしれないから、いちばんいい投粟をしなくちゃ………そういうお溝さんは、これと思なすの増収法初夏から秋末にかけて需・姿が一、七〆塩加一、○〆位を元肥あるのは果菜類中なすが一番、に三分の二戒りは数回に分施すなすは性蘭極のて強く.しかもる。金肥より狗腐熟下肥、巡石豊座家族一人当り四本あれば充、草木灰が安価で配合さえよけ分一本から二百から二言の収砿れば金肥の必要はない乾くのを忌むから敷藁をすること。がある。品秘は煮食用には丸加子、涜庁内人事柳酬征厩郷稚唖錘や飛坐年畷弛『“緬鐸風会主堺大雅忠子椎州率峰嘩奉罫唾》恥飛》部細『新岬岬癖一噸誠)御緬井酎坤くまで生る。なすは肥の中で育経済課(〃)爾永幸男つといわれ、肥々か少ないと果の農委(〃)寺門香代子色が悪く、肉質堅く品質が悪く教委(〃)興野光子なり群枯病に小Lり易くなる。肥料は窒素と加里〃多く燐酸分あ‐りがとうございは多勉ぎないようにする。ました篭紫と加里を多く施すと病害惟北中学校への寄付に伽く、色が濃く、つゃがあつ名木五本(価曜万円也)て肉笛が柔くなる.燐醗分が多上入野大久保孝元氏すぎると色が薄く、.肉質が堅く中古スクーター一台加子が多くて味が悪くなる。卿井今瀬敏一氏一畝当り窒素分は七百匁、燐中古自転車三台石塚寺門洋太氏率幽岬程軍唖端趣一二伽塞銅坪稀ぞうきん五○枚上入野植村新造氏う人の名をこっそり馴習しているから、また投票日にはその老耐を手のひらに書いてゆくにちがいない。こんなわけで・一家はおばあさんの‐熱に動かされて、棄権する者はいない。ことし初の選挙権をもった孫の正子さんは、まだどの党とも見当はつかないし、第一粟が自分のものという実感もわいてこない。その正子さんがふとしたことから「社かん党」の畑楽造氏の遡挙事務所へ手伝いに行くことになった。選挙夢務所といっても、正子はほとんど奥のほうの手伝いで畑氏の演説も事務所前でしたのを叩いたくらいであるが、だんだん心を引かれてゆくのは畑氏の心の溝潔さであった。畑氏だけ雷噂雲言、.奥ざん・害三一籍.むすこさんもそうで、それが選一一一一岸一事拳を前にして患ごしらえしたものでなく、身についたものであることだった。畑氏はもう六十才近かったが、その情熱的なことも正子を驚かせた。清廉潔白で仕事に打ち込める人というのであろうか。正子は今まで見たり聞いたり選挙裏のみにくさや緬珊でのあの争いに少なからずいやけがさしていたのに、この人こそ.白亜の殿堂におくってはずかしからぬ人という気がした。いよいよ、あすは投票日という夜、畑氏は、「正子さんは初めての投票だね。ここに手伝っていたからと感慨的にならず、だれにも左右されず、あなたの心にはじない、滴い初の投票をしなければいけないよ」といった。奥さんも.口にこそ出さないが、「ほんとに、そうですよ、と微笑していた。正子は、じっと畑氏の顔をみた。そして自分の持っている一粟がどんなに大切かと、しみじみ知ると.澄んだ声ではっきりと、.「はい」と答えたのである。ぐ-町で計画しているので聞く方はしんけんです郁子ばいつ蒔し、た。肥料は?草の飢噸は,牛はいつ放つか?等々・・…・天気柱上々納得の行くまで話をきき,しっかり見極めてきた。醜い牛が学陵jこ染められた。軒及風からいろいろ説明が力,つた。よく太っているのに,みな斑いた。蝿{i'#をもって育てて行けば立派な牛ゥ【できますよ,それに一頭ではだめで3~、ミ.:弧と殖やして行くことがこれからの股業のあり方です。と結んでくれた。↓←青11」小学校識堂改築が竣工しました.旧西郷中の謂堂を青山小に移改築する工事が,浅野工務店〔石塚汲野与四郎氏)によって行なわれていましたが,去る5月はじめ竣工式を行ないました.》岬壁矛》恥』》尋:嘩酬譲歩手屋一勲縛-,-挫号》鷺識函;、》』』臓独《地;視§察記2α町歩に及ぶ牧草畑が限りな→く緋いている。酪農組合口が泊り込みで木を切り根を抜き土を起したそうで,その苦労がみのりいまでは背々と牧草がのび乳牛や黒い和牛が,ゆうゆうと蕊を喰べている。「牛は山でア1.て草で飼う」ということがしみじみ感じられた。壷さる4月下旬町議会灘員、農斐、農協長さんら帽名が久慈郡里美村の放牧地を視察しました。これは町が計皿している共同放牧場をよりよくしようとする視察でした。§溌溌醗識、嵯口。。『罰弄-68-

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