広報じょうほく No.22 1961(昭和36)年 2月
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伽鯛唯;ii;鷲I:¥||i:#蟻常北中学校珊築工事請負契約きまる常北中第四期工班(特別教室など叫孜室二八坪)は一月三十日、三笠建設と六○○万円で契約ができた今月の納税固定寅産税第四期.納期二月二十五日限#お宝一万のお祝いか新暦で全町こぞってできました。永い間の慣習をかなぐり捨てL、新しい時代に生きようとする努力一と勇気がそうさせたことL思います。この踏み切りが大切ですご協力に厚くお礼を申し上げます。|町(ハャ北町長{二百十一名が集り盛大に挙行常北町成人式昭和三十六年の常北町成人式蟹物資の豊富さのあらわれが感典は、成人者一五四名、来賓者じられ亀ただその美しさに五八名を雄めて魁快哨の一月十見とれはしたが、何か動きのな五日、石塚小学校にお墜唱、ない人形の美しさ.L似たものを覚ごやかな中にも盛大に耐催されえ.若くはちきれそうな「はたた。ち」の若者と云う、先人感と入↓ての朝、大人になった喜びをりまじって、ちょっと復雑なも全身にほころばせた苛年男女はのがあった。胸を張って会場へつめかけた。午前十吋君が代の斉峨で、新附にも出ていたように、当町式が始められ、町是の式辞◆記でも、女挫の和服が目だって多念凹叫の峨呈に縦い、て、来賓の方く、きらびやかなその姿に、洲よりお祝いと激励のことばない巻量I王|:.:.'た著す蕊こ『”|今一一一や現金四万五・Wu-l-円白米四斗]'.、合衣知二一|・八‘tJj、雄・態に壷入れをそえて小学三年の女生徒も、わずかでも心をこめてたすけあい:みんなそろってあたたかく〃i皆さまの.あたたかし、御協力が、このようにう.るわしく実を結びました。町では、十二月二-1-三日民生委員さんと、婦人会の方々の御協力をし、たざいて、養老園と慰問し、みなさまからの貼りものをお脇ナしました。老し、の目が、感I洲で光ってし、ました。更に、幸うす<して児童細祉施設に収群されている子供連や、、病院に入院されている方.蝿にもAM(ナました。ただもう感謝で胸が一ぱい又二-'一六日には、町に住んでし、る一○ノLMI:イWにも腿分しました。みなさまの心を心として、更生の意欲もあらたに、『みなさまによろしく』と感激して州っていった気の毒な方々も、さぞ明るくお正)1を祝うことができたことと信じます。更に更に、今后の幸多きを祈るのみでした。読んで下さいこのご本もたすけ・あし、連動期間中の十二月二十二日の昼さがり、二人の可盤し、私子供さんがみえて、たくさんの雑誌を町のお友達に読んでいただくようにと刷けて来ました。那珂町戸多小学校三年一組の、秋山礼子さんと秋山としえさんの二人でした。計数器、クレヨン、弧入ォLに鉛牽も-このノ」、さな心のあたLかさに、係もた皆感激あるのみでした。又検町の大沢さノレとし、う主姉の方からも不幸な万々に、わずかでもと衣類を寄せていたL'きました。し、つまでも、いつまでも町民一人一人のあたたかいL,のともしびが消えないことをのぞみたいものです。御尽力-Fさいました婦人会を(よじめ、自治長さ/しに更に町民のみなさまに御礼を巾し上げ、昭和三十五年度の歳末たすけあし、運動結果の公衰とし、たします。自治功労で,幻青木新八郎氏表彰さる人成常北町識会議貝青木新八郎氏横の活踊をなされていることは枕.(六十九才)は一月二十R多年御承知のとおり..….や町村識会議員の鰍にあ貧L、地受賞のよろこびをかみしめな姪方自治恢弧に寄与された功統をがら「長いからといって表彰さ負さんらと交じつで四・・れ長力〃讃郷氏ま会県え村はしか、町らの11,'{たら村オミ瀧和。表議て会IJ1l杉会菖縦年さ識茨員砥棚小吹部会〃.‐...‐人のために尽・くし訊貝をふりだしに多年にわたけ識たこと語っていました。7く会生活と統けられておりますが青木識員ば現在弛設委負長とそのⅢ・縦及をはじめ嬰聯にあして東奔西走されています。たこ二成人者一同を代表して上入野の仲根昭友君の答辞があって、式を閉じ、そのまL成年祭にはいり◆喜びの歌心‐の曲を全員で合唱。◇成人者も来賓も入りまじってや中食をとりながらの懇親会。この席上町内の各代表からのテーブルスピーチがあり、また・記念柚樹を行うため募金箱が回され、三、四九一円が染められた。統いて、アトラクションに入り◆油劇「ばだしの背春」が、砧北川淡劇グループ「蟻の会」により上演、次いで貝をふりだしに多年にわたけ縦会生活と統けられておりますがそのⅢ・縦及孝一はじめ嬰聯にあって、術に地域祉会の発展に縦◆水農石塚分校女生徒による日本舞踊、ひえつき節.潮来船頭歌を発表。続いて◆軽音楽の減奏、茨大学生による。などがにぎやかに行なわれ、再び.◆喜びの歌、の大合唱をもって、はたちの春をお祝いはげます常北町の成人の日の行事の一切の幕が閉じられた。人間の一生で、成人はめ一個たくもまた、たのもし賂然し、社会の波は以外にきつく強い。だが、参加の成人たちは、勇気と協力をもって乗りきることを確認しながら、それぞれの分野に粟一歩を踏み出していった。準溌潮蕊鍾の勤邑似奏、茨大学生に9..J民生委員協議会ヤかに行なわれ、午後一時半から会議室で開かれ、新年を迎えてより一層委員の大合唱をもつの信条を新にし社会福祉の鋤進脊をお祝いはげまに努められたいと、大越総務の八の日の行事の一ことばがあり、’一十二件にのぼゆれた。る保諏の実情その他〃一熱心に脇に、成人はめ一個た鐘した。のもし賂然し、0.2統計鯛査員打合せ会外にきつく強い。l城人たちは、勇気午彼一岬から役湖で五十四名工乗りきることをが架り、二月一日現在で行われ》それぞれの分野る「冬期農業華本捌査」についみ出していった。て打合せを行いました。刈県臓会土木委員長ら要改修通路個所を視察県椴会土木委員長ら、一行》聖己》。、は、常北地内県遊の改修を要する個所など視察するため来されていることは町、新町ほかを視察した。こびをかみしめな・・Z農業委員金らといって表彰さ午後一時から会議室で開かれれたが今考えると農地法三条による所有権移転がお恥かしい限りだ十二件、腰地法此条による中島老什に鞭ってあま橘改修↑」伴う林通川地の買収、す議員生活に全て向作鹿維持創設費金の併入申調を傾倒して多くの六件群識.許可机当と認めた。人のために尽く北棚会の後剛上会長宅においてていました。現在弛設委負長と獅癖峠雌恥吐蝿峨峰隷塞雌嘩岬きれています。ての心椛えなどを蛎叫り合った。麦城農業の後進性‐を取もどし、曲り角にきた農業、いやもう曲り角を曲った農業をどうするか、農民のための農協の体質を本然の姿に改善するには営農指等事業の確立こそ目下の急務として?県の胆入りで発足してから早怠も一年たった。その大きな期待と責任を背負って飛立ってはみたもむ壁、行くべ・き道は示されても、その道順は何本にも別れ、‐どれを行ったらよいか右往左往、何時のまにか掘り出しに戻ってわれながら怖ない毎日を過してしまう。畦道を坊っていて剛かれれる活の向上を目術.して努力しなけ近頃は麦作も引合はな蛸してならない。、養蚕も斜陽産業だから桑の木そのための客観的汰然も、積が瑚産されると値段が下落しての使命としても是が非でもやら豊作貧乏になる・・….なければならない責任を浦感し何かよい作物はないだろうかている。これば誰もが希っていることって、明るい楽し随そして豊だが現狂の経済の仕組と流通過かな膿業の交群曲が奏でられる樫の中にあつ籍ては一・仙人」や「朋好胸に、今年州飛び廻り、さ限り「これを作りなさい」とはえずり廻りたい、§北部町村消防団春期合同点検が行なわれます来る二月十九日桂村阿波なおこの日は、消防団員が山地先那珂川畔において、常全部出動して一時制守になりま北町、桂村および御前山村の各すので各家庭では特に火の元に消防団員一、三○○名助カポ注意し、絶対に火事を起さないンプ五四台の合同点検が行なよう切望します。難難蝉雲蕃”釦彩雌妬磁脈鍔峰匡』”、言い得ないし.またその責任苫到底とれません。◆,,・戦前のように、農会の技術員や県庁の技師が「この作物をつくれば掴補助金がもらえて、販売にも有利だとか」「》尻家畜を飼えばこんな特典があると言って奨励した時代とは異って、自信をもって普偏的にこれをこう作ったらよいとか、この家蓄を飼ったらよいと一言うことはむづかしい。農家自らが自分の経営内容や生活の面を検討じて、fしかも共同の力で経世の改善を図り、生-33-

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