広報じょうほく No.21 1961(昭和36)年 1月
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広報じょぼ昭和36年1月1日へ四一く自巳反省の好槻でもある。いても納得のゆく迄受持の民生古内小学校長・富田正生で嘩赴に唯在蝿函詫舛蝦心咋砕睦率牝聴琳暗躍霊諏準報い維鎚省みますと一年位たつのは瞬格を認.のながら、今年は家族話ましては、御子様の御進学につく間で、今年こそばの年頭の計し合いの鰻会を数多く取り入れいて、色々苦恵されておることもろくに果せないまま新年が来ていきたいと思う。これが子供Lお察しいたしております。教てしまいぎした。を素直に、明るく伸ばす湧諦で鋪麺唾華窪他浩睡剖埜知崎華郊これば矢弧り事に当秒てネバもある。リがたりないセイなのですからと御子様御本人丈けでな/、一家小松小学校長の将来を左右する間腿でもあり私は御子さま方に対しましても余水幸之介ますので此のⅧの祁談事哨早目本を読むにも数えるにも更に一に御川意下さるようお願いたし層繰返し努力する気力を強めるような教育経営面へ力を入れて本年元旦を期し新正月一本化ます。蕊蛙継即潔獅灘畷新赤を迎えてみたいと思います。それには身体が強健でなげれころであります。備北町旧作辿桝協澱会是ぱ心これに伴わず、途中で必ず昨年は全町を挙げ、特に教育所呂三へ.たれてしまいます。又気強痢推に力を入れ、これが完成しいだけでもモロくては駄目ですつLあることは、城に喜ばしい地区住民の医縦保障、保仙の強靭さを身につけるには勉強を限りであり主した。向上に寄与するという並大使命中心とした生活の仕方にもすじ今年も町の発展と、町民たちを帯びた剛民他服味険蜘業にと通の通った科学的な方法を考えの幸せ舟願う気持を結渠させてって、この川和三十幸ハ年というて進ませなければならないと忠町民たらのすべての力によって§年は明陥二つの前途が予想されうの一こす。‐よい家庭へよい学校、よい町をるといわれております。明るい更に届は気をうつすたて式えから、心のひろびろとした大き育て上げるようお互努力してい面は、この三門を期して全岡皆保険が達成される見通しがついな気を持たせることは将来の人きたい間のと存じます。生に大事な条件です。生7年がみんなの力で、町民たていることです。賭い面という一日も早く拡げられた運動場ちの良い竿であり、町がますまと、産業の計圃が今迄普及に菰の整備された環境の中で学習さす発展の年であることをお祈り点かおかれてきて、保鮒財政並せたい念願で一ぱいです。して、新年のごあいさつといたに医療制喚において矛盾と不合理包蔵し、このままでは未牌有します。の危機を迎もえるのではないか垂剛山小学校長、常北町民生蚕員協議会総務と懸念されていることでありま長谷川信正大越泰照す。常北町でも今年から新正月一年頭に当りまして私共民生委この為に、町民特様の絶大な本に蹄み切り名実共に一九六一貝として微力ではございますがる御協力と.温かき珊解とを只年の新春をみんな揃って迎える当町の社会福祉の一端の業務を審御願いして、新年の御挨拶とことの出来ますことは御同姪にさせて頂いております関係上今致しざ《す。.耐えない.后一周楓祉二一法の迎世に関し抑常北地区農業改良普及所長子供達も冬休みに入り一家間協力給はり硬いとげじます。加藤正一梨の正月が出来ることはこの上私たちは難務に関して知り仰もない幸と思う。た個人的な秘密についてば口外艇莱の生唯も世の中の進歩澗我々も子供時代をふり返ってせずあくまでも秘密争旨として郷生活の発展か。h今まで㈹主教みた時、正月の楽しかった印象居りますので此の占謄ついても、澱粉・から牛豚鵡聴どの脂肪班が今もって忘れない。許段家族何呼の御心配もなくまた巡瞳せ白艇菜、更峰采物高級兼てさい、全貝の楽しい巣いばなかなかもにず御相談下さるようお願申ししいたけなどビタミン、ミネナてないものでずぶ「家族揃って上げます。然し如何侭田求の施ル艇業へと冊嬰が間まってまいの晒し合い」「父も仲川入りし業とは申し乍ら一定の荘恥がありました。農家の生亜向上は現た遊びの染い」など是非推奨しり、また保護の生活には入る迄在作付している作物の反当牧戯たい。又年令にもよろうが行くには涜産の活用について咽考慮を叩し、無駄な肥料や乎川を省年を静か膳送り、新年を迎えるを必要といたしますので折角のき生産物も高く光る努力と技術心構えも新春の轡びの中に持申調に対して御期符に添えぬ場が所柵噸加の常過であろうと忠たせて行くことは大切なことで合唱御座いますので此の点についます.更に将来をめざして永年作物の械裁家箭の多頭飼育から所得倍瑠を目ざして脚かしそのためには共同化を進めてを計測し一歩一歩築き上げてゆい刺明けを仰ぎ伸康を祝福しま営農方式に換えて、待望久しくことが将来に所得培崩の実がしょう。い一○○万円所得(七桁農業結径」どでしょう。今日の農業)を得i雪、若い粁年が希型に節く生活が送れるようにしたJ・凸巳耳〃j・令日ロ■ず“■■・aJ“■。●DJoB4pgjg■・■B■凸■●字■■●凸■・叩●■●.■FD“④■■■。●■:“ロ・凸■■e凸●ロロサヮ:■凸ヴ・■●。■ロ・■・凸■ロい。司会・一九六一年の新春を迎える時代になったのだから、自おめでとう・こざい証す。今年ら考え方を変えなくちゃ飯村よ〃盤かな生活が出来るは特に永Ⅲ旧腿で正月を祝太津百姓を始めて十余年、毎社会をつくることだ。そのたっていたのを新歴遊お祝いす年夢を抱くが、いつもズクめに農家は真けんに儲かる農るという馴期的な年でもあつ」に嘘はれてしまって……業を考陰えている、しかし、こて二芯におめでたいわけです米麦中心主籍営農は古い。果れシ害しているいるのが古い。振り.返って六○年はまこと樹も帝産を取り入れた三本立因襲だ、即ち頭の切り換え(新しいセンスを養うこと)がq0r9hFIlJI、F1もfjLfj用fj1I卜lfJhIJLlj、4J64J1lグもtfhff16グーlけいLfも、J日必要だ.教育も必要だが更に会議会剛職長関谷海司大切なのは経済蕊礎(盤)の談確立なのだ塵欝蚕掴日上始夫古ぃ強から脱皮する思想改革久関る経イ''1野き大、谷たうしに。滴ぴだ企四い必て多il〔{lllな股と業咋・'・と午、71$)i〔・災い‘茨忠の后圭,u1.尺今妙にの澗維ぅ膿の’1も,い年雌二没店済。村1K束まにi,[.'合街の雌"て海す澗こそ三にな向出丘迩,-』うれHヤかの上に輪をてしら間かでな対大旅し、たをでつ、し処会したし、基行て展にすをただと礎けし、家はべ目がきし、と年塞華室蝿田・●一蝿一一光夫小松殿“飯村保治挿擁雌職融加藤正一織務抑函加食井満席噸工率久野重治出ゞ》籍蕊嘩所とみ怨青錘大津隆一青年団長上宮博銅委主塞河原井正夫標にして農業経営言生活槻式を改めようとしている。勿ろんこの時期に日本の槻相も大きく変ることだろうが.:…今年はその第一歩だが、これらの諦澗勢に取残されないようにすべきだと思う。田上農民の立場から考えて見たい。農藁基本法の制定、所得倍珊など政府が政策を打出すが、その前に農民自ら所得珊大に持って行くべきだ、運動を展開ずべきた二.月の他界えめ夢よりも地上にある身近かなものをより美しくして行くべきだ。所農業は他産莱に比べて極めてみじめである。農家の主婦としてもつと、ゆとりのある、うるおいのある生活として行きたい。政府が打出す所得倍期に百姓もあやかりたい。教育而でも苦労しないで大学にやれるし、冠気器具をとり入れて文化生活もしたい。とにかく腿脹で明るい文化堆活の沌現が妙です。上宮何よりも豊かになることだ。農村に幾迦ている若い人ゞにくずだとしお艇るが弓若雅.人自身もつと強勉し、広い視野に立つぺきだ(家さいょければという考えを改めて)胸を張沙て、遠くを見つめて行きたい。何らかのグループに入って多くの仲川を得て共同で学習活動を進め手。行けばという夢を持って:…‐加倉井吃務柄いつも受身の立場で、予算縄成作業左どでは各人の夢を如何に失盟させないかということで相当なやんでいる古い言葉に『宿をおそれす、只管をおそれる」とりうことがあるが、水薬役人にろ一昨世の中一に方向・つ雁ら詐手喜・|いる。階い面を明るい方向に持って行くのがわれjI指導者の課題だと思う。とくに若い人の創意工夫を生かすことだ、そして各自が自僧をもって仕蛎ができる世の中にして行くことが大切だ。もっと技術を尊堕し、力を入れる世の中(科学的)姪なってほしい。司会それぞれ新容にあたっての必をお話しいただきましたが尖通なものに「より盤かた明るい世の中」の実現のために、頓の切換えが豚要だ。という徒若咋ことがあります郡。.このこと広い祝をもっと話し合って見ましよどいよけう。”て)胸飯村頭の切換えということは〉めて行やさしいようでむ●つかしい。ループに畑の中の茶株一つで大げんか付て共同をしている現実、交換分合の何けばと進まないのも、橡と姑とがいぜんうまく行かないのもbみ、叉身の立んな古い封延的考え方が原因だ。江どでは羅させな大津共同化は、結果的に正直当広やん者が馬鹿を見たり、系数的に岡をおそむづかしいことがあるのでなる」とりかなか踏み切れないところが某役人にある。よって常北町田上要は頭の問題だ、年寄りが左右うガンコな考・えがプレキしてされるいる、小作契約の面にもこれことのがよく現れている。しかしこないよれは時附の問圃一c、、若い世うこしたⅧ.。代になれば自ら解決することだ。加麗くらい面司会それらの問題を年寄りばだけ取かりのせいにするのは。….、こけら加藻交換分合と、嫁、姑のこれるのとは大きな問題だ。はよく交換分合の技術は頭の切換でない。啓蒙・か八割必要なんだ、その今の‐世ためには大きな頭の切換運動相は明がいる。交換分合は是非必要けられてで雪プル部落でも作って推しい方向に進めたい。J〜指導田上開拓地は比較的新しい農一工夫を生営をやっているが、これは畷各自が目一貫で出発し頭の切換が世来きる世のていたためだ。大切だ。司会いまの中学生が大人にな一、力を入るまで祥っていたんでは、束轡埠なっ京五輪大会には問に合わないが……ろての必関谷要は、はやく若い人が身必したが北〈上(しんしよう)を持つこと豆かた明る)ために、・だと思う袷という「次号につ普く」-31-

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