広報じょうほく No.21 1961(昭和36)年 1月
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広報じ長ぼfZミ昭和36年1月1日れ仲る股後ご新常て艮立¥のざ町、北いば場111腿い民町ま世と際,札まのf:E;撚職蕊;#蕊凄溌丈食さ驚鵡諜涯夫つ年わのれも)iiMうを経L曹町当局」綴会を中心とする町民各位の理解と協力略より学校施設においては恐らく県下のトップか切身‐完成の域に達せんとし新町述設汁画.新農村事業においても着々実施されて、その成果見るべきものあり農協活動においても三農協有線放送一本化も成り各三農協のそれぞれの経済活動についても好成績の裡に経過いたしておりますことは全く御同慶に堪えません。然し乍ら農村の訓情を深く考謹賀新年1961年えますときに他の産業との差がますます剛火し全く容易ならぬ状況でございます。幸い政府も艇業飛卒法を制定し農業山振興を汁らんレーしr、おりますが農を以沙て堆牝としている町としても虻は茨蝋貼といたしましても農堆振興卒.鵬とする馳合的な怖想の下に汁川し農協えの他の裾導槻関一体となって、これの推進にあたり以って町民皆様の生活を向上し町の発展今期して行かなければならぬ。このような考えに立って私ど当充分の努力をいたそうと存じます。こLに町民各位の御多幸をお祈りいたしまして年頭のあいさつといたします。働く場を見直そう常北町凝会刷縦長関谷海司・お互いに忙しい毎日の生活の中で唯圃分の仇いている仕耶の場が果して生涯の皿想に合っているかどうか考える余袷などある筈もありません。しかし近頃所得倍噛をめざして経営の近代化、協業化、とか体質改善とかの声が私たちの生活、身近に強く迫切て参ります正月の一本化に踏切ったのを磯会↓桔仇く場の広さ、構造、組合せ紋ど近代的な新らしい感覚と問曝的抜広い呪野に立って、さわや郁砿に叩xザの中から私たちの家産、部落と、町を、一応じっくりと奪え見直そうではありませんか。わが荊北町迩設の推値力がその中から芽生え師通することを期待します。年頭の挨拶常北町雅業共済組合組合長佐藤節三乾坤一転万象新なる新春を絃に迎え御同慶に存じます。顧みるに、農災法が昭和二十二年に制定されて爾来十二年有余を経た現今、曲り角にきている農政を支える基幹的諸制度に願皆の常計あ鹿じはっ共に代レ、さ円なるっはて、て済つ食え政ん滑るにて制御皆大制昨湿さしのな体未共度承さきl覧て事せま倍移制納済改知ん<に厳川欝除鹿嘉織蝿,礁詐常き、御期い消の過りにさて批松北まF1脇す新を適渡、マjLも判義膿す頭力るし以iE1'''脈スて欧が。の〃たいっな的11W。お正提孝驚鯉蝿珊腸凌鼠警拶お、へ正をに年imと<・れ新らしき年のぱじめ足.恥・脂よりもまず、杵嫌の御仙勝をお喜び申し上げよす。昨年は、‐米も麦h史上ばじめてといわれる栂の出作でしたが皆搬のところはいかがでございました。今年もまた昨年に約勝るよい年にしたいものです。しかし六年哨統いた胤作と食糧事情の好転などによ獣し農業に関するいろいろの問題が急に大きくとり上げられて参りましや一○今〃皆様も、これらに対応する準備はすでに考えておられること皇思いますが年頭にあたり改め「て堅実な、農業一年の計を樹ら霊ろ・両●筈『・》に希望・’三●’一言薫年.|の挨拶といたします。常北町展奨舌目会長田上光夫六年続きの豊作と咽歌された昭和三十五年も、遜逮股家のふところには何んのおかげも無く只何時も乍らの農作貧乏とゃらで過ぎましたが、お互が元気でこの新春を迎える事の出米た事を皆様と共に心から喜びに堪えない次第でございます。新内閣のたん生と共に新しい農政としての農業基本法も今度こそ鰯一歩を踏み出し曲り角と言れた私連農家も久万振りに他唖莱と凧を並べて真に近代的農業として立上る邸が川米も事と信じます。然し乍ら其の間には郁々の問題もある噸ルー存じますが私通膿業委員一同力姥合せて祷撒の為に尚一咽の努力とする覚悟でございますので今後共皆様方の何分の御協力をお願い申し上げまして、新年の御挨拶と致します。常北町選挙管理委員会委員長今瀬鎌信多年待望の新暦によるお正月町民こぞってお祝いできることはまこによろこばしい限りです。今年はあらゆる面から、わたくしたちに今重でと異った考え方と努力を要求されると思われます。所仰倍期施策なり、農業韮本法の制定郭々農業の体質政善のために新しい分野が展けて参ります・寺ひるがえ。て昨年十一月行わ雌れた総遡姑の.成紙は投蛎率八山一・八三形に低下し従来県下に》最優秀をほこる当町としては真刈に遺憾に堪えません。民主政治蝿の鍵は砥挙であり、選挙が正しく行われてこそ真に民意を盛った政治が行われることを思う時何として洲選挙が公明に行わ・孔ばならないと思います。尚県下に於ける逓挙違反邪件が今尚検挙されつきあることは甚だ遺憾に存じます。希くぱ有権者各位のの御協力により公明避挙が一日も早く実現することを熱望して止みません。無火災の年にたふ附北町消防剛長岡崎彪雄くら‐で吾が常北町澗防間も合併後六事力年の歳月好経て参りましたがえ消防体制の強化と消防力の充実につきましては、皆様の絡別ないる御協力を賜わり、特に消防各度般の施設や、概械器具の改善等宮一応その楚伽を見ました事は、一睦中央公比館の建設に努力社会教育委員会級長圃部孝進今年の正月は》」と更に意耗深い正月です。私たち日本人の生活行耶の中で一番楽しくお祝いしてきた正月が新暦で行なわり勺雌初の年だからです、。世の中眠鵬と云うものがつくり出されてからこのかた、私たちの祖先をはじめ現代にいたるまで、来る年来る年も旧正月を祝ってきたものを、昭和三十六年という輝やかしい町民各位と共に同慶至極に存ずる所であります。鼓に私共消防人は、年改まるに際し、更に決意を新にし、規律の振餓と技術の錬溺研鯵を怠らず、以って災害宅妨過し、常に公共の安嘩秩序を保持し、進んで消防剛本来の鷲務を全うせんことを好うものであります。町民各位にも、よく消防の在り方を認蛾されまして、こLに一体となり、町民侍消の下、絶大なる御協力を賜わる陳、誠に無火災常北町を祈念して、年頭の御挨拶と致します。今年から、常北町一斉に身も心もあらたに新正月でお祝いすることになったのです。旧正月に対する一まつの寂塞感はないではないが、古い衣はさらりとぬぎ捨てL、明るい新生活をみんなで築いていきたいものです。この郷やける乍頭今Lあ仁三L社会教育の立増から、今年はなんといっても、中央公民館の建設鐙実現したいと思います。成人男子は勿論、青年.婦人老人幼児にいたる、学習の場として、憩いの勘としての公民鯨を旧石塚小学校あとに巡設し、考える農民や、たくましい青年つねに笑をたたえた知的な家庭の主蝿がより多くなるために、ともどもに学習を進めよう。社会教育活動は、間口は広く奥行も深い。然しこの活動を撤肌させる韮となるものは公民帥と云う場であること冷確畑して、今年はこれが充実に一段と努力したいと忠ます。小松艇協組合長飯村保治.『雲の上にば太陽が空には星がある』所禅傭噌なんか農村へきっとしわよせされる。曲り角に立った〔藤斤ノ||ダ≦仰観倉に身も心上を。より秤しのよい明るい社お祝いする会にしたいそれには佃人の力でなく協同の力の。…:腿民のよりまつの寂室どころ農協の庇の下に政治哨生.古い衣は産も販光噂Ⅵ貯蓄淵給染しよう。.明るい新ていきたい常北校躍進の年昨附しし胸協・振一虻マ堂・輔47屯升1,0鴎14:J上一Lぁらて和田一郎ゞ今年はな智様にはさぞよいお年を齢迎えになられたことL深くお灘び〃・実現した1二.噺jけます。青年.婦人い祁砕誹排降蛎唾堆耐蝿稚鍛睡琴砺獅蝿誕搾鯉蔀賑い鋤吟恥畔端榊価雷弛鍛韮醒嘩誕や稚弛岬祁州嘩蝿叶峰札錐椎仙隼知的な家庭げます。るために、皆様の御期待に剛うべく懸命めよう。の努力をいたしており正すが何間口は広く分にも浅学非才「意あまって力の活動を砿およばず」の感深いものがござのは公民節います。舞確畑してしかしながら本年腿を「附北に一段と努校剛進の年」といたし庇く考えております。何とぞ本年も旧に倍しての御支援、御鞭捉を下さ蛙いきすようお願いいたします。保治こLに紙上をお借りいたし年頭の御あいさつを申上げます画がる』石塚小学校長へきっとし根本俊一角に立った農村吟x可、‐今乍三月にはいよいよ肘築工ま弛肌い雲蝋が完成して併望の統合教育が実現されます。。都‐に蔽われて洲腫准空気と、広い緑林にかいるゃだ.がかこまれた、きれいな近代校舎不換ゆ農民、子供途の胸も高鴫ることでし魂をたぎらよう◇せて一品砥町民各位の学校建築に奇せら雲を自らのれた一巡の怖熱と、努力に対し手で払拭し・・われわれは教育の充実をもつなければなておこえした路らない。そしっかりした基礎学力、体もしたらサン心的健康な伸びr\とした子供として輝くの育成に精進いたします。・太陽がある一九六一年はどうぞ、幸掴な○○◇『月一年でありますように、そしてへの旅行よ相変らずの御協力をお願いいたり、私共のしまして、ごあいさつといたし住む一.一の地ます。.-30-

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