広報じょうほく No.20 1960(昭和35)年 12月
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広報じ基ぼ昭和35年12月15日(2・・手二月十日午前・・一・・・・時から県農林水唾会航..」おいて茨城眼町村会の定時総会が催されました。その席上大字石塚柳機千代松氏が多年公共の事業に貢献し地方自治の振興発展に寄与された功績に対し表彰状並びに記念品が蹴られました。柳機十代松氏は大正十三年始めて認貝に当週し昭和二十九年◆まで実に三十余年に及ぶ長い議雰の動&◇石塚小学校咽築工班が始まりました。十一月二十二日午前十時から現場に、町長、議憂等、施工者三協処設、岡野社長外が参列、今瀬辰寿神官の手によって厳さかに地鎮衆が行われました。◇石塚小学校戟頭に和田修氏発く、。‘青山小学校長に栄進され、欠員になっていた石塚小学校教頭に、水戸五軒小学校教諭和田修氏が発令され十二月五日赴任されました。◇農村指導者研修会が開かれました。十二月九日石塚小学校に議員、農委宙農協役員、等の指導者が集り研修会が開かれま・した。“この研憾会は町の指導的地位にある者に対して、新しい視野から、農業の韮本的問題を検討して農村振興について泥識を深めるために持たれた柳描千代松氏Ⅱ梢功労で表彰磁憂三期をつとめるなど、氏が地方自治振興につくされた実戟はまことに大きいものがあります・表彩の感激をかみしめながら・氏は次のように調ってくれました。私が縦凶に出た励機は、特椛附級の打破ということで鮒に縦員生活においても「強さをくじき、弱き産助v2基本理念としてやって来ました。表彰をうけるほどのことはしなか沙たが、町を愛する気持だけは人には負けなかった」と。心から表彩をお祝い申し上げるとともに翁の一間の御自愛をお祈りいたします。電口写?量ロロ幸ロ琶竜。一口。弓皇らe罰.“手口要因劃◇”三・蛍I弓・ず凸ヨコロ・町もので、剛洲学附壁鞍旧純先生が郷帥となって識淡やら諦し合いが熱心に行われました.ま詮四倉正次氏逝去十一月二十六日午前五蹄三十分自宅で、逝去されました。慨しんで、哀弾の葱を表します年賀はがきは22日頃までにた付せんを添えて差出すこと取扱いますが出来れば十二月あて名をはっきり書いて一一.取扱期間十二月十五から翌年一月十日まで二、差出方法Aお年玉つき年賀昭狸二十五年もB官製私製を問わずお年玉つき二十二日頃王でに差出して戦士一月中ぱとなり年賀葉諜以外の通常葉祢を使けますれば大変幸いです。班り‐少なくなりま用する勤合は表面みやすいと四、配達のできない迷子の年賀とをお願い致し《いと存じ宣す“が蛇賀郵便物の差出について次のことをお願い致した冒・琴.た毎年の那壬書.すころに「・平賀」と朱群しまた葉弧凹が毎年相当沢山ありますが蛇賀郵便物の差は適当の通鼓に一束としてこから宛名砿明瞭Eや沸き下‐さ出について,欠D二」L、2.,、。△..。;1,.1.‐,‐.しこれに「年賀までに差し出された低料年賀福祉竿金は一月六日から支払郵便」と記載し葉杵は年涜特別郵便物としていたしますから念のため。葉瞥を使用する.れに「年賀郵便」と記戦したらとそれぞれ繰上げ支給を行っ場合は適当な通付せんを添えて差‐し出すことておりますから早目にお受取下数〕》とに一束と三、十二月十庇日から]一十八日さい。▲畳格取得届を早目陛高令者の任意加入は三月まで拠出制国民年金の覗務はすでに十月一日から受付を開始しており現在順凋なコースをたどりつLあります。この取得脳は二月一日現在で湖査員を通じてとりまとめの上一括提出をお金調嬢曙被保険肴になるl;!べき大切なもの年譲津誌を完了され誰れ民職睡灘.られるようにしたいものです。国驚加入で高令者の加入は来年三月三十一までに届けないと今后加入したくとも加入できません。、又、若年の任意加入者は、恩給や各郁共済組合などに現行公約年金制度に加入している人の奥さんたちも、すすんで加入いたし老后安定をはかりましょう。▲一月から手帆が渡ります資椛取郁珊の提出にもとづき・はお母さんの刷諜を忘れない・骸願います。次に年金恩給“公務員扶助料等煙昨年同様一月支給分を十二五.なお小学生、中学生のお子稼方の差出す年賀蕊苫には受取人《差出人ともお父さん又・各彼保険者に対して』.来年一月より遂次手帳が交付されますが手帳が交付になりましたら手帳は保険料について大切な証拠杵知であり、き掴、紛失等のないようお願いします▲保険料納入方法にいって保険料納入については、納税組合を活川する。方法で次のよう左案を検討中であります。㈲組合に保職料のとりまとめを行って関う。骨取まとめば町税に蝋じて毎月もしくは三カ月毎に行口一塁ノ・骨集金の都皮被保険者から手帳を預る。㈲検認は組合の代表者が役場に一括持参する。▲保険料を納められない’人は二どおりある保険料を納めなくてもよい恥合にば二つ賜合があります。法維で定められている耶附に該当すれば刷川をしてもらうだけで免除する珊合(法定免除)とどうしても納めることができない邪怖を叩鮒して妃零ぅ.…:平錨非,一ひ.笹も●八しょ七盤.石油』.電気の各コンロ等いょ火災シー・スンとなりました一亡あ〃ます。さきほど消防団では、消防器どう『て農家の皆さま、灰入れ具や、貯水槽の点検をはじめ、は燃えない容れものに、又マツ各戸の立入検査等を行ってや町チの侭場は子供の手の届かない民各位の火に対する警戒心を高処におくように工夫と注意をおめました。願いし重す・全く火事ほど恐ろさて昭和二一十四年中茨城県下しいものはございません。又張に起った火災の被塞総・池は戦后鯵極まるものでず。最大で約二一億・二一千円万円の多き火事壮消えて曲、黙手の世まにのぼり、火災件数は約一二百二で、つらや火元の名は消えぬ」.十件、従って毎日県の何処かにこのことばはほんとうにうが火事が起ったわけで、一日凡そった禰語で、、吾が家から火事を九十万円が灰になっている勘定出しては全く末代までの名折れになります。「つらや火元の名は消えぬ」これからの出火服因の多くはで、世川に合すかおとて)」ざい子供の火遊びと、取灰の不始末ます永鼠。ぎぜ、カマド、たき火、プロ淵、しか,し祇幸心万郡一火車を出‐‐‐‐‐‐!.’.:.》の拠出年金制、餌赤ん坊がネ..….と。除する場合(申諦免除)とで度に加入して、保険料を納めらす。このことにつきまし一Lはれる眠り納めていかなければ、こ札なことは石塚にかぎった后日町内回覧で周知いたしま拠出年金はもちろん無拠出年金ことではないが、ほんとうに今す。ももらえなくなり、社会保陳の年の型ば助かったという家が多以上かんたんに申しの.べてみ年金制疫から全くとり残されて聡町では「か」と「はえ」のましたが.この制度はあくまでしまうことになるのです。いない部藩迎肋を、一七三七戸も保険料を納入することにょつに行った。やらないの紫ハ○○■・理三ロコ言二』屋三・号丘電争恒言宮言三”零二二言三二・・三吟呂。二。畳・葛二言言一左忘と三・言二go三』言三二』.亡』言。言言電二言一・白》言尾二一言言冒言』再三一三言冒二因『一胃・冒与毒.堂二三写亘言二三一“善一三宮三二吟、害したときは、圃分の蝋だけで、火災シーズン来る鰯かに淵そうとし蔵いで.い”早く近所に呼びかけ、救心.求めサァー僻北町の皆さん、いよ七輪.石油、電気の各コンロ穿或は有線放送で消防団か、役場☆年末特別警戒(皿、l虹H)粁宵「人を兇たらドロポiと習いなさい」・泥枠『人を見たら川叩と忠』えづ」幸二灘露鯉し溌溌賦保料を納め「ヵ」のいなかった真いものです。この活は祈塚でのこと、ちよ猪君御用ためには、七つと古い活でが、こめ通川合にJ了例月……仕組になって夜泣もし妬、娘は安眠が何より落の人が柵の扉埜トリているののように無拠の御馳走とひれもf、グウグウ毒壁蓉唖唖埜秘録渉睡壷砂訴暇出年金も残さ…・・・やがておふく一つにしみじみしにして物凄い行相。れていますが狂唱たことによるとこうだ。早速柵の背理者が加倉井哲さ、昭和一二十六田舎は仕覗もつらいがそれにんに急報、哲さん愛用の猟銃で年四月に二十地して耐えられないのは、「かなんとこめ猪喝牡で百三十キ才’五十才ま」と「のみ」の夜襲u私ならなロへ三十五負)もある拙網級、での人峰こんとか俄まんできるが、可盤い癖んだ部落の人た玲早速猪汁の拠出年金制私赤ん坊がネ.:型..と。でお祝の酒裳。・かなければ、こ札なことは石塚にかぎったこの柵は去年一月県の州助ん無拠出年金ことではないが、ほんとうに今をもらって作ったもので「砺揃、社会保陳の年の型ば助かったという家が多とり残されてい。町では「か」と「はえ」の獅柵」という名前のもので下古のです。いない部蒋巡川を、一七三七戸内山外小坂にも胴をあけて排っ○窃かに消そうとしないで、いちのです。しま:・一二三一主二一・二一}・な:言二・・言実事の原因紘人の不注意によるものが大部分です控一瞬にして一生かかっても立て直すことが出来ない団財産を灰にし、時に畷は尊い人命までも失第うことがあります。検率火災予防は先ず1r報『火の用心』爾北町消防団長.岡崎彪雄ハbへと

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