広報じょうほく 1960(昭和35)年 7月
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凸診。訓守“一面●ⅡB1rJ■服町(酢昭和35年7月25蓬久しく休止状帳雁あn・『其…・》〃町報を今回裡活いたしまして、町行政の周知撤底を図り、併せて常北地域住民各位の声をお冊かせいたrき、以って町行政面に反映せしめ、明朗且つ住みよい町政を施行いたしたいと考えまして、こ皇に町報の再利をいたした次第であります。顧みるに不肖私が皆さん方多数の御支按によりまして、町政を見ることになりましたが、私は私なりの理恕を持叩.ております。この理想を現実化することによって御支援の皆様にお報いいたすのであり叉立候補当時の公約を実現するのであります。即ち一、教育の刷新充実二、》産業開発、農家経世合理化三、土木事業の拡充四、厚生事業の均てん合理化五、国保の徹底化六、納税の完納七、社会教育の刷新等の端問題がありますが、どれもこれも一庇に手を藩けることは、町財政上或は事務上到底不可能であり、両兎を追うものは一兎を柵ずのたとえ、疏点的に前大浦町長の継統耶業である統合中学校の残工頭に蒲手、三寵弛設の椴牲的雅仕により県下一の理想的中学校舎を建築、今回完工を見ましたので、三十五年度は屋内運動場を新設して、講堂に兼川する考えでおります。総坪数二二○坪、鉄筋コンクリート難、圃庫の起偵、補助金合せて八○○万円の予定これに蕊広報再刊に際して議懸町長佐よって全施設が一応充伽するので、今後内容の充実を図らなければなりません。これに加え昨年は小松小学校ぞ新築、木年は旧中学校々舎を移築、校舎不足分に充当いたします。更に水戸・股業商等学校石塚分校第一期工事の完工を見、目下学生全部を収容して授業を行っておりますが、本年は鰯二期工耶端工の予定を立て設計中であります。最后に石塚小学校でありますが、旧中学の敷地内に総坪数三五○坪木造平屋建にしました。鉄筋コンクリートとも考えましたが、県の予算の枠がなく止むを得ませんが、木踏建築でも鉄筋コンクリートに劣らない立派な学校を建築いたす所存であります。なお低字年生の仙服に対しては、木造述築が望ましいようです。国の起俄、柿助金合せて六○○万円見当であります。残る石塚小学校は町村合併に際して小学校の飛決がなされておりませんので既に補助令判起依の大部分は認可されないとあやぶまれましたが、幸いに常北町の誠意は県の認めるところとなった次第であり誠に同慶に蝋えません。就任当初より即決速行を主眼とす・へく努力しているが、公約の実行に当りましては思わざる会一c議会全罷潔一議《議会は七月十町雫五日開かれ一、常北中学校竣工式(八月一日午航九時)のこと二、起債(常北中学校屋内体操場新築工事五五○万、石小新築工事三○○万)・のこと二、転貸債(素牛導入資金澱鍵藤節三障碍に辿遇し遡々として進渉し難く、日夜町民各位に対し至らざるお詫びしつL嘆息いたして居る次輔であります。.しかしながら私は私なりの考えを持って暦るので、事務能率化を図るためには職員、所崩人の問融でありますので人心の一新を図るべく人事の交流、職場今年も又皆さんに面倒なお願をすることになりました。、岨もも、、、℃可、、■■、それは農地法第八十四条の申告です条文に「農業委員会は毎年八月一日現在の小作地及び小作採軍放牧地の所有状況を記敵した瞥而を作成し、これを九月一日より同川三十日までの肌浬業茨貝会の耶務所で縦覧に供しなければならない」と規定されています。小作地院関係のない農家は申告しなくてもよいように思われがちですが、農地を耕作している者全部が申告されないと自作地、小作地が判然としないわけで御而倒ですが正確左御記人廃お願いする次第です白・昭和二十七年よりこの八卜い金四二万円)のこと四↓追加更正予算(職風退職手当,術北小学校諒内体操淵石塚小学校新謬工堺溌、産織愛等》のこと五、人車(人板ようご委員候補者)のこと六、規程、規則の公布のこと等について協議した。1,『杯11.15年7月25壷…●.B月寸..日現在で●●…農地法第八十四条の申告#‐:曇発行所茨城鼎東茨城郡常北町‐常北町役場発行人佐藤節三一一f一計槌》秘秘蝿癖一統唖鯉哩ad妬5恥羽岬岬男女秘の転換をいたしました。野に遺賢ありと申しますが、町村合併は人件費の節約も意味するものであると考え庁内の異動だけに止めた次第です、この状態を一年位見守りまして再び適材適所主義に配慨転換を計りたいと存じます。終りに町財政も容勘ならざゐものがあるので議会識貝各位の真剣な予那処刑に対しては役珊当朋ともども械討を加えつ悩町民各位に不安のないようにと心掛けて居る次第であります。町民各位の絶大なる御支援と御協力をお願い申し上げ蔑す。条の申告がなされてい、ますが、完全なる申告が少く耶務局で手を入れることが多いわけです。次の点に注意して正しい申告ができるようお願いします。一、耕作而仙のみ妃入して裏面の一誰毎の川沸、而彼の記入がないものが多い。二、台帳而秋と耕作而城が異る鳩合はその班曲を妃入すること三、家族の統柄の記入がない。単県工求で勝見沢用水路付替工砺完成(工饗一一五万円)の社会教育その一ち教育という笥葉を聞くたと、なにか、かたくるし私溌誌ル悪濯諦せな生活を営むためのもととなる「考え」をつくってくれるのが教育であり、お互に学習することによって高められていくわけです。学習することは容易でない、また学校についている者のみが夕。ロをロ苧。垂一言豊竺。ロー邑二。三老J一二三ロヨロきり二五口..』”畠1誤”診はじめにこの制度はどうして生れたか、申し述べてみたいと思います。人は誰れしも一生を楽しく幸補に過ごしたいものと心から念願いたしていますが、なかなか思うようになりません。人は誰れでもいつかは年をとり、また長い人生航路では、けがや病気などのため体が不自由になったり、また働き手である夫や両親に死に別れて未亡人や町の動き◇常北中学俺処箔蚕目会一行ば七月六日思内体操場処誤につ墜L土浦一中、水戸一中外を視察見学し同九日協議会を開き協議した。◇民生委員会を七月十四日役場会議室で開き一、保護の実施秋況報告(開始一一件、廃止二鴬騨国民年金と=めはここ弓こて公のと明れccccCGその制度のあらましい務国をるら一.喉酔いに一》一に社会め三悪です。これらの不幸を国民がそろって「明るく幸袖な悪しができる」ことをねらいとして生れたのがこの国民年金制度です今までは公務員、会社員、工場等に勤めている人々には恩給とか厚生年金とかの制度がありましたが、今庇国民年金ができて、農、漁民とか、勤めてい,ない人々にも大体同じような恩忠をうけられる4うになったわけはどうしてです。問加入した場合の●軍保験料の額てみ《限と一口に言三」国民年金とは「はいくらかしも一生を磯漁民やその他勤めていない人答保険料は次のとおりです侭たいものと々の年金(恩給)制度」といえ・二十才’三十四才、○○円一一一いますが、ます@それでは次に鰯民年金に十五才からは一五○円で六十」なりませはどんな人がはいるか、その内才になるまでかけます。奪等につい定共体的に申し述べ問いつどんな方法で納めるの州録》唯岬岬み畦か雄蝿四種肺がばならなカーい人とはどんな人なのか。答国民年金手帳に年金印紙を毒春唾錘捧答で郵桶拒群唖峠極地奉謂認確率”巨坤確執郊職詞睦牽弐毛みなし見に人です。月分をまとめて一月、四月、なったりし問加入できない人もあるとい七月、十月に納めることもでて不幸になうが、それはどんな人か‐きます。ることも少答恩給とか、厚生年金とか各問いつ支給されるのか、そしくありませ秘の共済組合などにはいっててその額はん。こんないる人、それから公的年金を答老令の場合をいLますと六状態が統い受けている人も加入できませ十五才になったら支給されまたら社会はん。‐す。弧は年に四万二千円、も決して明る間人権鋤狂碓群極極伽吾症睦隼あり老令の場合の例ですが、つともかけた期Ⅲとの関係もくありませんな人か最低一万四千円支給されるこん。疾瓶、韓昭和一一一十五年四月一日現在とになります。貧岨、犯罪で、五十才をこえ五十五才まなお保険料の前納制腹もありは社会の三での人。それと公的年金(恩ます。例として一一○才の人の四幸を国民が紬、厚生年金、共済組合年金十年間の総額壁ハ万三千円とな柵な悪しが等)で保障されている人の配りますが、これを一時に納入ししとして生偶者、三番目に家族年金、公ますと$一一万三千五百四○円金制度です務扶助料などを受けている人ですむことになります。年令、会社員、工達と高等学校、大学に在学中納入期間等の関係で、額につい々には恩給の学生、生徒です。たぎ」の・てはいるノ、述皇Lきますが、制度があり学生の中でる夜間b定時制又この年金制度のくわしいことに年金ができは通信教育をうけている学ついては次号に掲げたいし,一思い勤めてい,な生、生徒は、必ず加入しなけますこ又役場に年金の杷談所がょうな恩恵れぱなりま.せん。この点注意ありますから気継に出てきていなったわけして下さい。た壁きたいと存じ士やす。鐸畦岬》鋸一掘吋潅郡軍畔峠窪耗一作岬荊二件・変更四件)二民生委貝協議会々則等について協柵した。◇国民年金適用世帯調査は五十皿名の調戎員によって行われているがその期限は七月二十五日です。◇常北町国民年金普及推進協議会が近く発足、国民年金制度の普及推進に乗り出す。ここでに学校教育につ際Lはさておき、青少年や一般成人のかたがたの学習可社会教育」についてお知らせし王ず。社会教育の重要さについてはいまさら申すまでもありませんが、学校教育と社会教育は東の両輪の如くで、これが一緒に廻り進まなければならないから、J〆雪・・f・・かたもあるかも■bと思います瀞撰学習は一生紐けいや:社会教育というレ・卿‐‐ルの上を学校教育という汽車が走ることによって教育効果は上るとさえ云はれております。ここで一口に社会教育といっても何か、と云はれると返審に困ることがあります。社会教育法ではこう云っております。「社会教育」とは、学校教育法に基き学校教育課程として行なわれる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行な少《》》呈叫〃隈一二一窪モータ雲一周龍(“〈一一二一口’・醍醒一・《‐坐作咋酬一「謡〈“一帯{r一一・一浬一桝化のため部藩に出狼して取りまとめを行づているが忙がしくてお出かけになれない方は役場挫委事務耐までお出かけ下さるよう希望している。◇常北町青年体育大会は来る八月七日水歴分校グランドに○署ものかわ傭熱的な若、〃鼓技を展開する。われる組織的な教育活動(体滴渉雅紗膨蕊蝿鷺-私たちの毎日の生活の賭問恩をとらえて、これにそくした学、智を皆んなしてやっていく共同学習活動だといえましょう。ゞそれでは社会教育活動の範囲はどんなものだろうか、私たちの町の社会敏育の現状と進め方←について、その項目をのせてみたいと思います。’一、公民館の活動二、新生活運動三、青少年教育四、成人教育§五、視聴覚教育六、芸術文化教育七、文化財保謹行政八、社会体育の振興ただ項目だけではどんなことかおわかりにならいと思いますが、この屯で今年特に五点的に進める覗項や八項にわたる内容については号をおってお知、らせします。(文責大部)之六月の人事◇出生鍔垂塞下古内飯田全三寅三男・上古内鯉測好江満男一一一女石塚川野辺和子広治二女下青山山崎裕子四郎長女期井前田浩美好文長男石塚熊坂功一好吉長男〃〃富士子〃長女那珂西小山和久正和長男.上入野浅川明美博守二女上古内大坪浩正治長男◇死亡錘圭銅?石塚大崎たけ(さ)大崎うめ母上泉飯村初太郎盃)藤次父石塚田口淑雄(三武二、三男f青山江幡信雄蔓)シマ夫蛤下古内阿久津はた宅七)正男母一石塚熊坂ナシ(き好吉・母“◇婚姻七組、鵡一函珊端醐醍犠一緑一癖鮮町綴極醒一応一癖瀞町鯛木瀞燕癌戸市舞隈町龍順芳銅》豆鶴野黙鋼鈴唖(塞野里唖麺鍛癖一癖圭念爵鰯井霧震-14-

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