広報じょうほく 1956(昭和31)年 6月
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常北町報昭印三十一竿六日二十日(2)新議員亦旧町議の意志をつがれて早期完成に尽力されたのであった。からその実現をのぞむ,一と会に増築予算を上程した垂議員各位は熱心に審議に当られ弓予算に不足を来すなら吾盈の才費を寄附してもよい評言鐘一一で増築校舎は専門技師の現地我並に起債に待つこととして一一十》》》}一寺》《》帥蹄一小松小学桟一種調一日一大久保孝元一癖州幸華稲一西郷中学校霊丹日一鯉淵丈男一錨燕刺純一青山小学校一睡月日一寺門直之介一銅銅丙蒔識一憧胸い陸憾虐階岬し」睦剛l卜些跡確俳嘩壁芯塚中学技一塾矩一日一園部再代治一癖岬酔恥一五二、一四一円石塚小学校一垂月日|久野菰浩一錆黙茂蜘潅一三一、宝三円小松中学校一種羽一日一今潮倣一一織詞硬噸一杢、〈一六円|蝿峠即一新会長一新副会長一木年庇予算総額一地勢とに肝眼し防災ダムのモデルとなすべく計画したものである。・次ムの耐さは三七・誠メートル、長さ二○メートル、粛力式コンクリート〆ム種総貯水池面獄四七町歩、総貯水量三八○万立方メートルQこの上流に商さ九強メートル、底柵二八メートルのアーチダュと内裡二,七メートル、延長二○メートルの排水トンネルが作られ洪水時の水迂麓調節して改修の効果を上げようとするもので、このダムの完成によって、論岸四百数十町歩の耕地と滋路、椛梁など被密は全く解消することになった◎司五、馬の流行性脳炎の予防について脳炎に掘ると物艇い熱稚川し脳神経が優されほとんど死亡してしまう恐ろしい痢気である。今年も発生する時季に入り、す垂して亀ようやくこのほど完成し去る五月二十室日竣功式を現地にあげた。同ダムは、昭和二十二年のキヤサリン台風の水密で耕地四百二十町歩、その他五十六町歩、家歴四百五十戸が被密をうけたことから、二十五年九月計耐されたもので述設竹も版地九、四拍廻国凹鎧さき円茜去二円語、一里円-4-

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