広報じょうほく 1956(昭和31)年 6月
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報常北町昭和三十一年六月二十唇(1)新町発足以前旧町村に於ては何れも弘根を発行し行政の末端彦透のため、大きな役割を果したのでしたが町村合併によっての中絶は識にやむをで・あ鰯匡誤す⑨私は先日千葉県下の有線放送の状況を見てまいりましたが役場盤上に放送、交換の施設を有し、一村全戸が払撒機幸いに新町発足麗来満》一ヶ年、当局の苫心と努力によって、町の径営も漸く軌道に乗った感を深くするものでこの槻会にいま藍での経過や行政全般を町民にあますところなく知らしめることは股も大切待望の常北町報がいよいよ五月より発刊されたことは町発展の上に大きなプラスになと冠括り孜踊とを持ち、然も非常に少額の経擬で設備と運営をしている状況をまのあたり見、さらにこのような町村が千葉県下に二十六町村もあると聞き、その進んだ弘報活ろととは疑いなく心からお喜そしてこれを利用して全村の事業や行政のあり方を村民に知らせ村民からも要望を州露峰禦禦羅議難持っている町村が何れも非常一・よう心掛け壱町民各位殿たこに優秀な業績をおさめているの町報に上・って町政の実態をととを語えると、まさに町村よく把握しお互い納得の上で発展の韮は弘報活動をおいて町の施策に協力し、役場と町他にないことをしみじみ感じ民との直結と全町民の触和一ました。体を計り、以て理想郷常北町当町に於てはかって旧町村の建設に資せられるよう切ににあってこの聯業を担当し、||御期待申しあげ、お祝ひの言弘報の編集にも深い経験者を一葉といたし藍す。経済課長今瀬茂新農村建設計画と言う言葉相が急角度に変り、人々の老が藍た出て来た古く感じられえ方が変って行くにつれて、ろが内容は新らしいものであ一要求する問題に変化がおとつる。即ち今迄に樹てられた建てくるのは当然だと私は考え設計画をどこ喪でのばして行一る。そしてまた、それ等の計くかに問題がある。時代の槻一画がどこ主で進み、どこまで下古内安渡の美挙町村財政の確立庭納税愈識の所で、ここに共有山林があ劫捲が叫ばれている今日、百.ハリ、この程立木を死却した。皿1セント完納を決譲した坪よりに安渡だけに止まらず共有地麓な部落がある。持ち、立木売却の配当をす為部藤井川防災ダムで一腿打名に落は到るところにあるがも問題なった下古内の安渡がそれであはその分け●方におる。皆、共有地る。ここば公式には下古内才三を笠錨する場合には垂部落のも区といい、区長(現、加倉井弘のとして登紀する先人の考えで氏)の下に四つの部落に分れてあったろうが、法は大字名によいろが、何ごとによらず良く瓢ろ登妃を認めていないので何某まる所で排て松崎医学榔士謂導外何十名として壷犯したのであの下に全戸改良便所(三柑式。ろ。星移り歳変って戸数は砿えンクリート)を作って有名便。L卜K1馨旧じ卜這b卜出に直さないか新しい町づくりの先人のllljr教えを継ぐもの考え方につい工忌’’二一一一昭和三十一年六月二十日一一発行所東茨城郡常北町役一一一濡耐唯一恥印帳濯所一は科学的な韮礎調査にょっ実現し、どんな形に於て利益一の方六の問題に対する理解の一を資らしているかを反省しエ立派な唾設計画が樹立され壱この目標に向ってすべての計画が実施されて来た。その実績を評価することが今後の建設計画に大きく「プラス」すると考える。勿輪基礎調査によって出た基本的な資料には変りはないが方法に研究の要を求めたい雪》町村合併によって広大政規模になったので地域性が大部変ってきた。古い習恢もあって、一級には行かないとか、いろいろ問題は多い。風速は斯うした新らしい些盤の上に立って、更に新町建設計画として、今迄の計画に検討を加えなければならない段階が来たのだと考える。建設計画は、皆さんも御承知のように蕊礎調究と言う。診断によって「ガン‐一牡見出しこの病気に手術をする手段であって六ヶ敷ものではない。この場合に鮫も大切な事は、これを実施する班業主体ら子l孫の時代には部落有の鰯伽未払金を優先的に整理するこ念が薄らぎ、限られた何某外何ととし、三十一年度は一美の滞十名の共打地となり、折角の先紬もなくしj5というのであ人の志から逸れてくるのは巳むる。これには、既に昭和二十八左叫ない。年から百パーセント納税の実を安遮の場合、そこに異色かあ挙げている安渡才四納税組合(ろ。今回売却代を配当するとき現組合長如倉井秀雄氏)の実例部落の指導者たち塔》」の先人が頚づて大きな原動力となっての避志を継ぎ、部落の繁栄と紬いる。税完遂を僅先的に考え、これを四方を高い山に囲まれ、耕地部落全貝に翻り、垂員一致しては極めて少く一山越,ズて田植に次のとおり決裂実行したQ川ろという頗る恵まれない環境一、納制純合の蕊金として一にあるこの常北町の片隅の部落万円宛計四万円から、納税完遂の火の手が拳っ一、鉄綴火の見総新築饗五万た.lそLてその警鐘種太陽円に趣く新鉄骨火の見やぐらから一、灰樫期全戸設祇搬十万円打ち鳴らすのも、もう附近い。右を天引きして痩独を配当し(Mk)たが、それも今までの滞納と農度合で壱一ととに各地域社会の方友の意向調迩の必要性があるわけだ。農村の社会では改良計画腎一充分了解出来ないのも知ってゐても唯手術を慾しないもの即ちやりたくない後退型のもの、頑迷なもの等いろいろあってその指導は容易でな八(函従来、町村建設計画は天下り的だと云われているが町村の実捕は、‐町や部落を憂うるものと何事にも頓蒲なしの者との寄合であるの宅止むを得ないことだと一応思われるが実に了解の出来た計画」でなくてはなちないと思う。六ヶ敷いけれども私は新しい町づくりの基本的な毒え方をここにおく。とにかく自分達の毎日の生活状態を、農業経営の方式を更に堀り下げて「これではいけない」と自覚することが大切だ。希望をもたないものはない筈だが実現させる方法を実行に移さない、段た移させない方全があるのではないだろうか。「かまわないでおこう」それは無難ではあるが、自から求め得るものを求めずして見送ることはまづいことだと恩お互が明るい生活が出来るように、よい環境に置換えられるように考え計画を樹てるようお奨めしたい。幸い国に於ても農山漁村総合振興対策を提示して補助助成を行い農林漁業の経営育成に当ることになった。・事業によっては洲助をうけること・が出来るのである。この機会に此の要項を活用して、より発展的な計画を樹立し半《う。(つづく)来る七月八日矛三回目の参議院議員の通常選挙が行われることにたった。昭和二十二年四月に参議院を雛成するための妓初の選挙は別としてその後二十五年六月、二十八年四月と三年毎に二度通常選挙が行われた。今回の遡挙は二十五年六月の選挙において当選した人街の任期満了による改選のためのものであるが、その他に全国区で二十八年四月に避出された識員のうち二名欠員があるのでその補欠選挙が合併して行われるため結局今回の選挙では全国区で五十二名地方区では定員どおり七十五名計百二十七名が迩挙されることになり全国区の当選人のうち得票上位の考から五十名が任期六年で下位から二名が任期三年の織員となるわけである。いうまでもなく国成は衆議院及び参殿院の二院制であり国会という国家樋閲椛の巌商機関である国会の牌挙について参議院議員選恩の合致した限度で成立するものであるにもかかわらず、すべてにおいて衆議院に比紋し軽視されがちであり選挙における投票率等も毎回衆議院識員選挙を遥かに下廻っておる等すべて選挙民の参議院に対する認識不足がもたらすいつわらない現実であると思う然し当町は合併前の三カ町村共参議院磯貝選恭毎に郡や県下でも一、二位の投票成織を示しており、これは町民一人一人が参議院に対する認識を充分体得している証娘で皆槻と共にお喜びするところである。今回の選挙域農繁期中で恐一締だが全国的に猛烈な粟権防止通勤を展開しているので町内有椀者の皆襟一人渦れなく主幡在民の趣旨を完うし自己の信ずる政策信頼する人物に句って清き一典を投じ椛利に対する義勝を果すと同時に常北町の向上しつつある投票成縦の維持に仰協力さるるよう念願するものである。なお左記に該当す方は新たに選挙梱の有資格者にたるるで近く自治長さん宛配付する補充避挙人名簿登録申請書を六月二十五日虫ではお忘れなく提出されたい。一、昭和十一年一月二十日から同年六月十九日までの出生者一、三十一年一月九日以後本町に転入し六月十九日までに三ヵ月以上になる湖二十才以上の者一、当然の有謝格者で町議会義員選挙のときの名簿脱漏者(総務課杉山栄)○百影(石塚地区六一組合のうち)仲猫一、仲宿三、新町二、新町三、明神町、新明、杉合一、佐久山、三光町甲二、三光町乙一、三光町乙二、南佐久山一南佐久山二、田町一の一、横町一、田納税成績の三、大堀二、吹上四、下宿や下組二、◆表前(小松地区三六組合のうち)..本郷上東、“・磯野一、磯野二、青木(西懲地区四一組合のうち),・松山、若官、湯井沢、由井沢、北米、真米、富士山伽田畑、宮方、小坂上、勝見沢下、勝見沢中、勝見沢上、法師峰、竹内一、竹内二勺樋口・上古内上、仲郷新町、|仲郷下組、宿東、川向、樫当三、樫当二、安渡四、○八○形以上(石塚地区)杉合二、本町、田町三の二、下組四、(小松地区)なし(西郷地区),上郷一、上郷二、仲野田、谷津、新田、小畔、古宿、宿西、安渡一、、㈲五月目韓車荷車税○百%(石塚地区六一組合のうち)仲宿一、仲宿三、新町二、新町二、新町三、明神町、杉合一、三光町甲二、三光町乙一、南佐久山一、南佐久山二、本町、栄町一、田町三の三、大堀二、吹上四、中妻二、中宿一、下宿、下組二、根本二、表前、(小松地区三六組合のうち)磯野南、磯野二、青木、(西郷地区四一組合のうち)↑上郷二、松山、蒋宮、渦井沢、由井沢、北米、真米、富士山、田畑、仲野田、宮方、小坂上、勝見沢下、勝見沢中、勝見沢上、法師峰、竹内一、竹内二、新田、小畔、上古内上、仲郷斬町、仲郷下組、古宿、宿東、宿西、川向、樫当一、枢当二、安渡二、安渡四、○八○%以上(石塚地区)杉合二、佐久山、三光町乙二、田町一の一、田町二の一(小径地区)なし(西郷地区)上郷一、樋口、安渡一、-3-
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