広報じょうほく 1956(昭和31)年 5月
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常北町報(1)昭和三十一年五月二十日役場会議室に招集、この日唯一の議案である助役選任の同意について午後三時すぎ開会、満場一致をもって町長の原案である岡崎彪雄氏の選任に同意した。岡崎氏の略歴は次のとおり満場一致助役選任に同意″5月過日臨時町議会町報発刊について町長大高秀男明治二十三牢三月二日蝿茨城郡竹原村の名望為円家に生れ長じて石塚の岡崎家を胴がれた。氏は青山師範学校卒業後教鞭に千年、後実業界に転じて十五年、昭和十四年石塚郵便局長拝命同二十二年掴戦後石塚町澗防団長となり合併後初代団長と左り監査委員を兼ねた。。い幼児に対して必要なる保を加え併せて協同生活の練をなし心身共に健かに育成-てその福祉を増進し他而家の激勢を防止し勢釣能率の全なる発揮と目的とする。。、期間六月十四ょ〃六月羊六日行政に当《ている肇斯うした考えの上に立って具体的な計画や実践を細大もらさず皆さんにお伝えして誠意ある御協力をいただくべく町報を発刊することにした。皆さんの建設的な御意見や御批判もどしどし御寄せ下さることを望むものである。簡単に町政に対する所信の一端を述べ町報発刊の御挨拶とする。ロロロワロJR″qJⅡⅡ0『、・・・二:宮f沙、■jHJLq、“弓君。F厚生課だよりrDfHⅡ。、』ロ今亨。“o1Drも〃ⅡⅡ0.。q、。。◇ロ。。〃、夕日日Ⅱ、新緑滴る俵候一町民の皆・《一様にはます史す御演栄のとと大慶至極に存じあげますさて私儀今般図らずも、町議会一致の御推禰により、常北町助役に就任いたしました志旺[芋’四・戸‐《一・“春風羊で六雪で(十四日間)・毎日午前八より午后五時まで‐国、対象専業農家の小学校就学前■叩馴僻炉口早●■乎胡■●罰酷叩■口勇函眼■■晶醍や④●』聖一躍保育所開設㈲、目的農繁期において放置され一行側叩手十一二・斗I‐一ム韻コユザFr]三ヨード心発行所東茨城郡常北町役場発行人大凝・秀:勇一印刷所‐伊藤印刷所就任御挨拶常北町助役岡吟充庭し成護-塁時皇汁四″謝識群社・呈名矛五〃癖鍛紳社二名汁六〃杜錘栂学校三・名矛七〃唾噸馳民舘》9名矛八〃鉦癌病萱舘皇名斗ソ″詐姑納学桟三口名Pf“、″汁十″清音寺,二名合計一○ヶ所三五○名一五、饗用一本年度に於ては全国社会福祉協殿会より季節保育所用晩脂粉乳が配分されることとなったので保育児童に対して給食する方針であるが、これに要する費用として全期間を通しで一児童当り七○円を負担願いたい。六、保育専任者一保育所毎に二名程度の専任者を配属する。七、申込自治長を通して申込むとと一(六月五日迄)一F醍亜辛釦FF肥辛辛甲餌騨》F手却醇醇が醍壷即卵申押邸圭胡手《却志永振醍函エヰ餌F韻唖》》望小餌宰》》由〆評幸一届率忠魂碑再建:四、場所名称場所収容数“石塚地区に松ける流洲事変才一保育所窪嫁師寺ざ名以降の戦硬者一七八柱の英名を御世に伝い、もづ頼偉精を汁二″・獅銅率神社君名瀬彰せんとす‐ろ気連が砿成さ‐れ、薬師寺境内の忠魂碑の碑汁三″・珪捧公民舘弓名一陰に追刻することAなり石塚汁四″謝識群社・呈名郵枢詫蝿榊癖垂塞津堆都識城役岡崎彪雄が、これ偏えに皆々棟殉日頃の御懇情の賜と深く感謝申しあげる次才であります。私もとより浅学短才の身、果してこの重責に耐え得ますや否や省みて疑念なきを得ないのでございます。思うに町民の皆様既に御承知のとおり、‐わが常北町は合併後日なお浅く、町財政の確立、農業改善の穣極的推進、商工業の発展方策、道路河川貫蕊胃惑訓久郡浜蕊認典宇〃縄筆〆酔議蕊蔚熊番の改修、消防施設の充実、激育文化の向上、新生活運動の推進、健康保険全町実施等、重要な問題が山積しておりますが、これらに対しては今後町長を助け、身を挺してととに当るの批悟を新たにするものであります。幸いにも町役湯吏員各位には、合併当初に比し漸く寄合枇榊の城を脱し、協力体勢も整い、町村合併の理念に徹し、大局に立ち毎日の事務に専心従事する態度が逐次進展されつつあることは誠に喜ばしい限りであります。『私どもは今後和衷掘力、津町有財産の拡張国有林払国有林野砿備臨時措笹注と町村合併促進法に湿われ、常北町合併の一大条件であるところの町内国有林の払下については、町長就任以来妓大の施紫の一つとして議会と緊密なる連繋をとり、数次に亘る上京陳情その他八方奔走を菰ねて来たところであり、町出身の在京有志『地元県議の測而からの後援等があり着々成功を収めつつあったが遂にこれが払下が確定された》即ち五月十四日町長は督林局に出頭払下契約を締結した。今回払下決定をみたのは大字上古内字中島一四八五番地山林一九町五反○畝二六歩、ず一部に違反行為が行われて大字下古内字カジャ沢二七九おるようですがら農地法の要下に成功泌処この程竣工の運びとなったので五月十六日忠魂碑除幕式を併せて慰懸祭を執行したI忌靖国神祇参拝県並びに町共催による戦裂者遺児一五名の蛾国紳社参拝は江幡、袴塚書龍引率の下に五月士八、九の両日施実した四番地山林二四町五反五畝一二歩で、立木は概ね五十年以上の松で全山榊蒼として目を奪うばかりの密林である。将来これが管理に当っては町有林隙視興の雌亜なろ監督とともに適切放る造林につとめるならは常北町百年のための一大財源であることは疑いない。I農地法の要点について農業委員会細引勇農地法は昭和二十七年十月二十一日から施行になっておりますが未だに運営が判明せ然一体の姿となり、愛と誠実が吏道精神であることに鑑み、町長統率の下、町議会の強力な進進により、地方自治の確立を期し、あくまで新町建設五ヶ年計画の設計図に従い、よりよき明るい、平和な常北町建設のため妓善の努力を傾注し、町民各位の御期待に添え史すよう相勉める決心でございます。なにとぞ今後とも一層の御支援と御維力を賜わるよう切にお願い申し上あげる次汁であります。ここに略儀ながら馴か決意を述・べて新任の御挨拶といたし喪す。点を説明馳一ま詰責まず昌一一切所有しておられない農地会売渡し手統をする)不在地主の所有小作地、有村地主が一町一反を超えて所有する小作地②胃が買収する農地(委員会が確認文才買収する)旧自作農創設特別措置法に基き売渡された土地で買受けた菅2はその世帯員が耕作し-ていない農地⑧農地の所有柵を移転する場合‐「売買卿与等)農地法矛三条の許可申請書を町委員一会経由知事に提出して許可を受ける許可を受けてから売買購与の契約をするその農地について排作をする意志のない者又は三反歩以下の耕作者は許可されない。開放地であっても事悩によっては売買が出来ることになったP㈲農地を農地以外のものにする場合へ山休宅地等その面積が五坪乃至十坪の小面積であっても必ず知事の許可を受けてから変更するとと変更してから許可申騎を出すのは違渋です。⑤新たに農地を借りて耕作する場合へ農地生矛三条の許可申請書を提出する。常北町委員会の許可のみで出来る。三反歩以下の耕作者並に開放地は許可出来ない。⑥地主に借受地を返す場合(・農地法矛二十条の規定により知那の許可を受けてから返すこと。撰主借主合意によって賃貨借の解約をする埼合も必乍知事の許可を受一けてから返すこと。例小作料は必ず規定の額を蝿定の期間に金芙で納めること。金尭以外の小作料の授受は違法です③からめ史での許可を受けないでやった事は無効であるばかりでなく農地法汁九十二条の罰則一が適用きれますから必ず許蕊溌蕊溌蕊溌;-1-蕊

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