七会村117周年記念誌 2005(平成17)年 3月
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ささやかな祈Uを捧げ続けた民衆の代弁者恥惜挫』一幸恥一}一F土一↑、。‐)“準冒[呼出垂一口二・↑rF-唾覗一一一一G.口咋一一rLごロ》】ると、ついつい見えなくなってくるものがある。本当は、そこにしっかりと腰を据えて存在しているにもかかわらず、自分の視界の中に入ってこなくなる。それは、「視界の中に」というよりも、「意識の中に」と表現するほうが的確なのかもしれない。道端や、あるいは田んぼの隅っこ、三差路の角地に、さりげなく置かれている野仏なども、見えなくなってくるもののひとつ、と言えるだろう。誰かが、何かのために、切なる思いを込めて祈りを捧げた印なのに、その意味も知らずに通り過ぎていることが多い。歳月の経過によって、「誰が、何のために」祈りを捧げたのかが、はっきりしなくなってくるものもあることは致し方ないとしても、路傍にたたずむ控え目なその姿に、ほんのひとときでも向き合ってみることができれば、普段忘れていた世界への入口に立つことができるのだ。がかかにるもの語りけ七会にはいろんなところに多彩な神々がいる
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