七会村117周年記念誌 2005(平成17)年 3月
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Le11eB~都会から届いた七会への手紙軍嘩瀬戸一再-平成16年6月末の昼下がり、旧全会村役場2階の産業課に山歩きの塞装をした数人の来客があった。ホタルを見にきたのだという。職員が居場軍を地図で説明すると、一行はワクワ-7した様子で出かけて行った。後日、クループの1人から手紙が届いた。■「今日は御親切にありがとうございま‐た。今、夜中の1時です。早速御礼fと思いペンを執りました。丁度月曜日に当たりホロルの湯壱休みで夜までどうしようかと思いつつ.後続車2台と合流、七会村をドライブ;‐ました。木々のざわめき、鳥の声、360度冒然に包まれて時を過ごすと誰もがた琴やかな心になれると実感です。何に巻ない、人にも逢わない、お店もない。薫達は今日御逢いして御判りのように票々しい人種ですが、緑の中でちょっと忘れかけていた、それぞれひとりひと胃が探していたものを想い出させてぐず:たような気がします。御教え頂いた場所に蛍はほんの少しでしたが、結構、心は満足していまLたo改めてゆっくりと、ここ七会村をふいてみようと皆で話し合いました」我孫子市・牛尾房圭七会は、人の心を和ませる。毎画凶蝿画“”罰‘・鼠‘、;.』鷲_j螺ー回一F。ブロフィール昭和17年生まれ。終戦で水戸から疎開し、3歳の時から七会村で育つ。七会中卒業後、大工職を経て涯田工務店(水戸市)設立。現在、水戸建築高等職業訓練枝校長を兼務。1男1女は独立、妻と2人孫ら:-.雪変わらぬ山河に感謝ふるさとを離れて“数年.蓮る遠い日の記憶を辿れば旅立ちの日の必死の思いが今、懐しい.「七会」よ、みんなの力で輝け!窪田信行さん|加歳まえまで過ごした七会村を離れて、もう加年以上になるけれど、鶏足山、花香月山、八瓶山、それに七会中の前を流れる藤井川……そんな山や川は、いつ見ても変わらない姿を残してくれており、ほっとする思いに浸ることが多いですね。もっとも、子供の頃に遊んだ川に近づいてみると、どれも川幅が狭くて浅いんだな・自分が小さかったから、大きく見えたんでしょうね」「小学校は下赤沢の分教場に、徳蔵小(のちの西小)が新しくできるまで通いました。ワラ草履をはいて、勉強道具を茶に黒いシマ模様の風呂敷で包んで背負い、歩いて通ったものです。中学では就職組だったので農業実習がありました。田械えで、みんなが一斉に後ろ向きに苗を植える時に、Ⅲんぼに落とし穴を掘るイタズラなんかもやったなあ」「中学卒業後、地元の工務店で大工の年季奉公に。4年半務めて水戸へ出ました。成人式には、元の奉公先の親方が背広を買ってくれました」「水戸の工務店に皿年勤め、訓歳で独立・高度成長期で問に合わない位の仕事LFmF-酢皿準一■一一一一画踊華征■一一二)■■■一画一画《■一鴎一一■F》申四口■■一一雷■一夜に帰宅、何日も子供の顔を見ないことも。この間に、七会は砂利道が消えて、どんどん変わって行った。七会の名は消えましたが、この地域が潤うよう努力して欲しい。私も見守り続けたい」星
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