七会村117周年記念誌 2005(平成17)年 3月
12/32
順子さんの故郷は海のかなた4000キロのフィリピン。観光・リゾート地として知られるセブ島に近い島で生まれた。いかにもフィリピンらしい兄弟姉妹8人の、上から3番目だという。潮の香りに包まれて育ったがために、海には強い親近感をもっている。フィリピンの海はサンゴ礁のリーフだから大半は凪(な)ぎだ。こちらに来て、初めて遊びに出かけた大洗で見た太平洋の荒波に、これが同じ海かとびっくりした。勤務先で知り合った矢野勝男さんのプロポーズを受け入れ、七会村に嫁いで鴫年目。婚家の篤い理解で、名前をサトリナから順子に改名し、日本人になった。日英ロ矢野順子さん村と人に溶け込んで充実の日々を送る。農一■■■一一四一画■一一一》四面皿Ⅲ一F一一一面一一雁》》■唖■》gF囲唇申凸華根醐一》垂歴一睡■刀一一■亜目》画く一寺暮らしだったが、言葉にもすっかりなじんで、いまは流暢な日本語を話す。「でも、むずかしい。話しはできても、書くのはまだまだ…」子供と一緒になって読み書きを習い始めたものの、家事と仕事を両立させなくてはならない女性の忙しさもあり、集中できない事も。「村の人たちが優しく、外人だからと嫌がられたりしなかった」のは、順子さんの努力も大いに手伝っている。田植えや草取り、稲刈り、オダ掛けとなんでも参加した。辞典にはない「だっぺ」語や「若えてえ(衆)ら」も覚えた。ゴルフ場の仕事では、英語能力を買われフロントや通訳をこなす。艶YanoJunkoゴルフ場勤務1967年フィリピン・ボホール島生まれ。1990年七会村に嫁ぐ。中学生の長男を頭に3人の男の子がいる。MYト1OMETOWNNANAKAl七会で築いた、新しい暮らしと私拍手を送りたいと思う。「過疎の村」に幸せを見つけ、子供を育て家庭を築く人たちの営みに対して。|酉』一■一一寺■』画一垂■一華一“申一宅一一幸雪空■申二一一》■■西国■配叩〃P一〃牢』画』一■一画一曲》家族的、そしてフレンドリー」中学校と小学校、それに幼稚園でも、それぞれの語学レベルに応じて英語を教えるトニーさんは、くるくる回る大きな眼でコミュニケーションを図りながら子供たちにていねいに接していく・身長181センチ、体重105キロの巨漢だが、立ち居振る舞いはすこぶる優しい。大学では宗教学(世界の宗教)を専攻し、その頃から日本には関心が高かった。仏教寺院や神社に興味をもち、和服のような文化に魅力を感じた。1995年から3年間、日立市に住んで水戸市内の私立高校トニー・リチャードソンさんスローライフを満喫母親を呼ぶのが夢。で教壇に立〆一たが現実の日本はとても忙しいビジネス社会で、思い描いていたのんびりゆったりのスローライフとは無縁に映ったという。縁あって七会村に来たのは2001年、笠間から七会に住まいも移り、妻・バネッサさん、息子のルーベン君、娘のティファニーちゃんと暮らす。緑深き七会はスローライフが身近に。海はやや遠いが、気候は出身地のノースカロライナにも似ている。買い物の便を除けば不満はない。世界とは衛星放送やインターネットでつながっている。「七会はグレイトでビューティフル、そしてナチュラル」米国の母親を呼び寄せるのが夢。TonnyRichardson小中学校の英語指導助手1965年米国・ノースカロライナ州シャーロット市生まれ。2001年七会村に移住。家族は妻と1男1女の4人。
元のページ