七会村117周年記念誌 2005(平成17)年 3月
11/32
人駕篭堂漂蕊蟻:望:鰯雛鰯:懸鰯蕊藤クロツケーを始めた。ハンター・笹島さんは「自然との共生Jとは何かを身をもって伝えている。ハンターの自然見つめる眼差しの深さ。「俺は、一(いち)ハンターに過ぎない。名人は久野好さんだよ」そう控え目に語る笹島憲道さん(塩子、昭和型年生まれ)・先輩・久野さんはワナで猪をとる名人、笹島さんは鉄砲撃ちだ。猪の足跡が見つかると、「追い役」が人家や道路、河川などの条件を考慮して山を遠巻きに囲う。これを「巻き狩り」と呼ぶ。そ舞台は孤独な世界から一転すると今度は仲間との調和を重んじる場面へと変わお・確かな起源は定かではないが、江戸期に旅回りの一座が芝居の休憩時間に演じたものが地元に長らく伝承されてきたと言われる民族芸能「源太おどり」は、何より仲間との呼吸が試される。潔田喜平さん(下赤沢、昭和5年生まれ)は「多くの先誰から教えられてひょっとこ踊りを覚えた。上州(群馬)のほうから伝わってきたものらしい。若い頃は身が軽かったんでしょう、それなりに腰を振って踊ったものです」と振りかえる。同世代の仲間は減ったが、若い人たちに受け継がれている。源太おどりは世代を超えての包囲網を狭めてゆき、猟犬を入れて猪を追い出す。出てきたところを仕制めるのが「嬢ち役」で、笹島さんは撃ち損じが少ないと定評のハンター。「猟を止めたら農作物や人的被害は甚大になる。手負いの猪に襲われて亡くなった人も近所にいる。タバコの臭いや咳払いひとつで猪は隠れてしまう利口な動物。猟のできる環境は残したいものです」野生動物と対時し、共生する、自然への深い眼差しがある。クロッケーは冗談交りに楽しく・鋤×恥メートルの、正方形に近い芝生・マレと呼ばれる木の棒で木製のボールを叩き、6つの狭いゲートをくぐり抜けさせ、最後のゲートを目がけて進む。強く叩き過ぎると芝生をはみ出して打ち止めになる。力の加え方、ボールの進路の読みなど、易しそうにみえて「実はなかなか奥が深いのです」と富田末吉さん(徳蔵、昭和2年生まれ)は言う。”人の会員がいる徳蔵長生会・クロッケーチームのリーダー。平成狸年には西茨城郡大会を勝ち抜き、難関の県大会で優勝。「不器用な人も助け合い、冗談まぜつかえしにやる」のが楽しむコツだそうである。道蕊繍難駕篭震蹴頴熟鶏教え子たちがすでに指導者になっている源太おどりの上演風景(閉村記念イベントで)、露田さんがリーダーの徳蔵長生会チームのクロツケー用具、ハンターの笹島さんらが出入りする猟場。
元のページ