七会村117周年記念誌 2005(平成17)年 3月
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世篤篭瀧謡燕麓樋鰯溌纂蕊難皇麓議場で麺を切る河原井さん、左は現役の頃の舞台写真を手に当時を懐かしそうに語る濯田さん。村I多芸多才な/び」の集きりだ。それぞれが独自の個性を放ち、それらが共同体の芯を形づくり、特色あふれる魅力をつくり出している。そのひとりひとりに目を向ければ、味わい深い「小宇宙」が垣間見える。かつ》はとこの家一巡地元産のそば粉を使ったそば打ちが行われていた。微妙に異なる家ごとの味は、子供たちの舌に「我が家のそば」の独特な味覚を植えつける。その記憶は、長じて想い起こされ、より味わいのある美味なそばを打ってみたい欲求を増大させる。河原井雄一さん(大綱、昭和訓年生まれ)は、そのとりこになった一人かもしれない・勤め先の東京修練を重ね全日本そば名人に。山里の伝統と技術。名人、巧人たちが生き方を形にして一》唖呼一一■豆一一《■一一ゴー■一諦咋星宿■》』》一七》[L一一酉唾一画》一一一唖一一》’二《戸一へ一■》歩》一峰詑一一酔申毎■そば打ちを始める。あちこちの催しでそば打ちボランティアに参加。その後、愛好家が集う「いばらき藩麦の会」に入会した。そば打ちは、実に奥の深い世界。粉の吟味、水の加え方、提ね方、さらにはつゆのだしのとり方。道具類も、のし棒から麺切り包丁、まな板に至るまでが経験と技術による知恵の集秋なのだ。河原非さんは、穂み重ねてきた修練を一気に発揮させて手際良く、しかも精魂込めてそばを打つ。そこは、孤独と沈黙が支配する世界でもある。すでに、全日本素人そば打ち名人大会(平成鴫年の第6回、福井県)で「名人」の認定を受けているが、今も週に1回は半日をかけて腕を磨くことを忘れない。

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