常北町施行50周年記念誌 2004(平成16)年 11月
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新たな明日への夢に向かって霊歌に音頭鶏論難擬瀧鷲町のシンボルが誕生一鎧①児童生徒の栄養源も学校給食共同劇理堀完成(昭和44年)喧滴塚小学校にモダンな体育館完成(昭和42年)石塚一茨城大学前駅間の営業廃止(昭和43年)町懸畿鯨臓製年のことでした。昭和44(1969)年には常北町民の歌、常北音頭が制定されるなど、この時代は町を活気づける話題が続きました。なかでも常北音頭は町の美しい自然と人々の温かな心傭を親しみやすく歌いあげており、町民が作詞、入選したものでした。瀧測i諜蕊完成された常北中プール(昭和44年)30峯心つなぐ'、瞳ろかなるまた、このころ石塚小学校、小松;国の要請もあり、町が運営する共小学校の屋内体育館や常北中学;|司調理場の誕生となりました。こう校プール、そして学校給食共同調;して、子どもたちの体格の向上、体理場が次々と完成するなど教育環;力の増強に学校給食共同調理場境の整備も進められていきました。;が貢献することになったのです。学校給食共同調理場は町の小、;町が新たな時代へ向かうなか、中学校の生徒およそ2.000名の学;昭和43年には長年、町民に親しま校給食を調理する共同施設を建;れた茨城鉄道の営業廃止が決定設したいという要望に応えたもので:時代の変化を象徴する出来事とな昭和43(1968)年から蒲工され、;りました。昭和44年5月,~…溌灘&線《茨犬赫…祷溌》営薬j蕊雄、;に完成しました。謝恩優待乗車券穂:蝿澱扇駕それまでの施;"聯"患癖識識織蕩霧鞠"馨露…鯵"瀞""職霧鐸職蝿識“”劇設の老朽化に加え、中学校の給食をI淵始するようにとの大童15年10月24日師恕茨城線営業廃止寵念「さよなら切符」(昭和43年:営業廃止:鯵ミ茨城交通株式会社
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