常北町施行50周年記念誌 2004(平成16)年 11月
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西郷尋常高等小学校卒業式(大正13年頃)畦』㎡■■■■1口】凸《宅●で卜い両隣皐凸参:鋼険■q環教育、文化而でも中心的な役割を果たしました。その顕著な例は、大正11(1922>年12月に設立され石塚IHJ"立図書館に見ることができます。当時の茨城県内において、人口3.300人程度のIHJ'で、|叉I書館を有する町村は他にほとんどありませんでした。大正来年の図書館利Ⅱ1状況は蔵書数615冊、開館日数320日(巡回文庫200日)、閲覧者数3,550人(巡匝|文庫850人)。当時の石塚町の人口がおよそ3,700人ほどだったことから、全ての町民が一度は図譜館を利用した計算になります。町制施行以前から「東茨城郡北部における1小都市」であった石塚村には、人々研一下町通りの風景(・大正初期)発電所を建設し、電燈電力を供給しようと、耐□ん喝ロの生産や生活に関わりのある様々な官術(役所)が設憧されました。明治7(1874》年に石塚郵便局が創設され、通常郵便業務が開始されました。その後、Iリj治25(1892)年から為替業務、大正2(1913〉年から電報業務がそれぞれ開始されます=また明治11(1879)年には水戸警察署石塚分署が設世されるなど、まちは急速に近代化されていきました。大正7(1918)年11月、藤井川に水力前島平が藤井川水力電気株式会社を設立。大正10(1921)年9月から東部電力の電力供給を受けて、東茨城郡の小松村、西郷村、岩船村、西茨城郡七会村.大池Ill村を対象に電力供給を開始します@そして、大正12(1923)年9月には、藤井川の水力発電が完成し、それまで電力供給を受けていた東部稲力に対し、逆に龍力を供給するようになり、常北PI丁域3村に文明の燈火がともりました。劉鋒の混乱と生活困鼠ぞ|して、やがて世界は大戦へ…励ど”妙劉""jt''耐7秒”:乃乃・純一”妙〃来【
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