常北町施行50周年記念誌 2004(平成16)年 11月
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時代の潮流を巧みに利用しながらたくましく、したたかに生き抜いた。西洋文明が怒涛のごとく流入し人々の暮らしも一変する。鶏妻識上入野村村長辞令(明治加年9月)篭胃函蕊鰯雲塁鰯溌雲溌現在の常北町域は、明治維新をむかえたとき、13の村(石塚、那珂西、上泉、増井、上入野、磯野、上背山、下青山、春園、小坂、勝見沢、上古内、下古内)に分かれていました。明治4(1871)年の廃藩置県や明治5(1872)年の大区小区制の実施、明治11(1878)年の郡区町村編成法の施行および「連合村」の実施など、しばしば行政区画の変更が行われました。明治22(1889)年4月17日市町村制の施行により、石塚・小松・西郷の3村が成立します。そして、石塚村には旧石塚、小松村には増井、西郷村には上青Illに、それぞれ役場が世かれました。また、各村には村会が世かれ、選挙権および被選挙椛が与えられます。被選挙権は「mr村の住民で2年以上その町村に居住し、満25歳以上の男子で1戸をかまえ、町村内で地租を納めまたは直接国税2円以上を納める者(これをIHJ村公民という)」に与えられました。村会議員の定数は、3村とも12人(人口1.500人以上5,000人以下の町村の定員数)、任期は6年。g年ごとに半数が改選されるというものでした。合併当時の3村の人口は6,866人で、平成14(2002)年の13,599人のおよそ半分程度でした。その後、順調に人口は増え続け、明治45(1912)年には8,233人にまで増加しています。明治31(1898)年に葉たばこの専売制が施行され、石塚村に産出たばこを収納するための水戸地方専売局石塚出張所が侭かれました。葉たばこの専売制は、日浦戦争以降、財政収入増の必要性に迫られた政府が決定したもので‐明治37(1904)年の煙草専売法の施行によって完成しました。石塚村に専売局の出張所が置かれたことによって、東茨城郡、那珂郡、西茨城郡の3郡にわたる17力村を所管区とし、やがてこの地域は葉たばこの一大産地となり、地域発展を支える大きな源となったのです。国説離職蕊農灘割大正8(1919)年10月11H、石塚村は、町制を施行し石塚川●となります。石塚liljは、東茨城郡北部における政治、社会産業の中心地として栄えただけでなく16牽心つなぐケーはろかなる

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