常北町施行50周年記念誌 2004(平成16)年 11月
13/92
職-q--p-p-はるか太古よ仇.常北町一帯には石で斧をつくり、土で瓶をつく,り平和に暮らしてきた人々がいた。やがて、律令制による統治が始まりへ国、郡、村が誕生すると支配する者と支配される者との関係が③雛謹践県内最古のものといわれる宝輪院の大日如来座像(町佑疋何形エ1C則ノヴ9両け、鵬縦,臓鷺雛i可輪忍ト▽趨恥国瀧琶嬢謡塞蕊蕊を大化2(646)年「大化改新」によって、律令国家が成立した頃の常北地方は、常陸国那珂郡と呼ばれていました。当時の那珂郡は、現在の那珂郡・東茨城郡・水戸市・勝田市・那珂湊市などからなり、那珂川流域と・致しています。この那珂郡を治めた那珂国営には、第13代成たけかしまのみこと務天皇の時に建借馬命が任じられたと『国造本紀』には記されています。常陸一宮鹿島神社は、武神として熊く政府の崇敬を受けた神社ですが、その背景には陸奥地方の支配、すなわち蝦夷征討と関係していたと言われてい県教育財団により発掘が行われた上入野遥跡ます。また、町内には、鹿島神社を名乗る神社が多くあります。これは建借間命「たけかしまのみこと」で音が一致することや.「鹿島神宮社殿建て替え用材か那珂郡にあるが、遠すぎて移送力困難である」と『樗本三代実録」に記録されていることなどから、当時の那珂郡と鹿島郡とが密接な関係にあったためではないかと考えられています。小松寺の,:一面遼盲立像、日宋貿易の渡来品といわれる現存するものが少ない一木一刀の蛇彫り(町指定有形文化財)小松寺の浮彫如意輪観音像(国指定雷嬰文化財12*心つなぐ、はるかなろ
元のページ