かつら議会だより 第15号 1995(平成7)年 2月
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輝かつら議会だより貰華仲)袈裟 町村合併について 固 十一月一日にひたちなか 市が誕生いたしました。鹿島 郡大野村議会に於いては、議 長名で鹿島町長と鹿島町議会 議長に早期合併の要望書を捷 出いたしました。合併のメリ ットについては鹿島神宮を中 心とした文化圏が住民間で一 体化、また編入合併で中核都 市としての発展が望まれると いうことです。合併の意義に ついて先ずお伺いしたい。尚、 隣町の阿久津町長が、九月の 定例議会の質問の中で水戸市 との合併問題にふれて、非常 に前向きな姿勢を示しました。 その中で町長は広域を組んで いる他村との兼ね合いも十分 考慮しなければならない、そ 「∵瀬∵∵白⊥同 堀野辺 福寿議員 して合併は時代の大勢である と、場合によっては、単独で も合併を進めたいと言ってお られました。また、それ以前 に町長との問で動きがあった か、それとも広域問で話題に なったかお伺いをします。 臼 十一月一日から、ひたち なか市が誕生いたしたわけで ありますし、また鹿行方面で の鹿島、大野あるいは波崎、 神栖の合併論議等々も新聞で 承知しているところでありま す。合併することによって何 らかのメリットがなければ合 併する意義はないし、特に二 十九年から一二十年頃にかけて 町村合併促進法という法律が でき、その中で今まで全国で 一万有余あった町村が三、六 〇〇ぐらいに統合合併がなさ れた事例がございます。合併 に対する優遇措置を請じて、 中央ではそれなりに町村の合 併をこれからも一段と進めよ うという動きもごぎいます。 内容等については、より合併 に有利な条件として、合併促 進に対する交付税の措置等々 につきましても、例えば合併 するならば、合併しない前の 交付税措置は、五年開廷長す るというような優遇措・置も講 じています。 しかし、私ども昭和三十年 に合併した当時を振り返って まいりますと、いいことも確 かにあったでありましょうが、 また、いわゆる合併後遺症と いうものが昭和四十二年ごろ まで続いたように記憶してお ります。そういうマイナス面 も合併によってあるというこ とも、また忘れてはならない ことだと考えております。い わゆる地域エゴ、あの合併当 初桂中の統合問題でも大変な 事実を擁した経緯がございま すし、また、本庁舎の建設等 々、それなりに多くの事実が かかった面もあるわけです。 合併をすればすべてがバラ色 だということは厳につつしま なくてはなりません。また、 桂村の地域によっては種村へ 合併することよりほかへ合併 した方がよかったという声が、 いまだに出ていることも事実 です。私は地域住民の意志、 これを最大限に尊重した中で 合併に向かっていくか、いく べきではないか決めていかな ければならないと思っており ます。水戸市と常澄は吸収合 併という形で実現したけれど も振り返ってみると十年ぐら い前にすでに合併開港が出て いたわけでございまして、そ の時点で最終的に議会の反対 で、合併ができなかった十年 の歳月を経た中で常澄村自体 で存続してゆくよりは永戸市 と吸収合併することによって 十年間で四盲三十億円の投資 が期待できる、こういう中で 今回はスムーズに合併が実現 した経緯もあるわけです。生 活圏を一つにすると言ってい ながら、その塞にさまざまな 問題が包含されておるわけで 私はこの合併というものが慎 重にしかも住民の意志を最大 限に尊重した中で決めるべき であると考えております。常 北町長が新しくなられて、水 戸市との合併問題を促進する というご発言があったという ことは私も承まわっておりま す。このことについては本人 から直接話は聞いてございま せん。また、話をしたことも ありません。東茨城都の町村 ′■l\ としては町村会等で話しが出 たことはあります。そしてま た、大体水戸市と常澄村の合 併が済んだあと県の地方課の 方がおいでになりまして、水 戸市を含む近隣町村との問で 行政の研究会を持ちたいのだ が、どうだろうか、とこうゆ うような話しがございました。 これは合併するとかしないと かという前提条件でなく水戸 市を含む近隣町村との行政的 な問題を研究する、そうゆう 場を作りたいとのことであり ました。私としては地域住民 の意志が合併の方向に向くよ うであれぼ当然進めていきた いと思っております。 常北は前の於崎町長の頃か ら水戸市との合併は大変熱心 でございまして、合併によっ て常北町は発展につながると の考えを持っておられました。 この間も新聞にでた十万原の 開発問題等々常北町ばかりで なく地権者は逆に水戸市の方 が多いのですから、そういう 中では水戸市との提携等を深 めた中で考えていきたいとい うのが阿久津町長の考え方か と私は推測するのであります けれども城北の広域の中でも
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