じょうほく議会だより 第100号 2000(平成12)年 8月
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晶郵》恥》皿剖呼咋PJ申■一一■韮一へ雫一一■一■■一四■■」搾酢■■(牢》亘永きに亘り、年四回発行して・○○号を数え機関紙として、その機能を果たして来た事は、先飛議員各位のご尽力の賜ものであり、衷心より敬意を表しま●す。申すまでもなく,議会は町民の負託をうけ町政の進展、町民の稲祉向上に執行部と車の両輪の如く重要な役荊を演じて居ります。議会の働きや動向を速やかに町民に周知し、理解と協力を得ることが非常に大切なことで、今日まで永くその寅務を果たして参りまし議会だより第一○○号の発刊を記念して常北町議会議長川又克己辛み時恰も二○○○年の節目の年であり、四月より地方分権法が施行され、地方自治体や住民が、自主、自立、黄任を問われる時代になり、議会はもとより「議会だより」の役割は益々重要かつ大なるものがあります。ここに記念号を発行するにあたり、「議会だより」の充実と議会の活性化と町政の発展に更なる努力をすることをお誓いし挨拶といたします。戸この度「じようほく議会だより」が創刊以来、一○○号を迎えられ、心からお祝申し上げます。常北町は、昭和三十年一町二村合併以来、恵まれた自然と、先人達の豊かな歴史に支えられゆるぎない発展を議会だより第一○○号の記念号発行に当たり、一言ご挨拶申し上げます。議員各位におかれましては、常北町発展の為にご蒋闘なされている事に対し、心から敬意を表します。私は、昭和三十一年に議員に初当選し、戸議会だより第一○○号の発刊を祝して常北町長阿久津板に豆でも転がすような弁舌の議員が二十六名。戦後の町村は見る影もなく荒れ果て、地域間根性は強く、それこそ難儀いたしました。昭和四十七年には第十二代議会議長に就任し、第十四代まで務めてまいりました.この間、議会といた吟遂げてまいりました。この間、町議会におかれましては、常に町民福祉の向上と地方自治の確立を願い常北町を支えてこられました。この度、宝○○○年の節目の年に「じようほく議会だより」が一飯村正勝雄紀しましても、町民皆様の声が議会を通して、町政運営にどのように反映されているかを良く知っていただき、議会活動をできるだけ早く町民の皆様に知らせることが議員としての責務と考え、昭和五十年八月一日に「議会だより」第一号(創刊号)を責任者として発行いたしました。議会だよりを発行するようになってからは、町の発展性は住民皆様にもよく見える様になり、お蔭様で町民から○○号一学迎壷勇礼蓋したことは、町議会の歴史の中で誠に意義深いことであり、議会活動を広く町民の方々に伝える媒体として、大きな役割を果たしてきたものと確信するものであります。今後とも町民に親しまれ、愛される広報紙となりますよう、より一層の御努力をご期待申し上げる次第です。さて、御承知のように本年四月から地方分は大きな喜びの声を聞くことができました。以来、議会だよりを拝見させていただいておりますが、議員各位の熱心なる研究の職み重ねにより、住民と議会を結ぶパイプとして立派な議会だよりを発行されており、そのご苦労に対しても心から敬意を表します。今後とも町民に親しまれる議会だよりの発行と、常北町の更なる発展をご祈念申し上げ祝辞といたします。椎ゞ括法に《し一いよ地方の時代の幕開けであります。本町においても住民自治の理念に基づき慨かな暮らしを確保するため、議決機関である議会と執行機関とが、調和を保ちながら町政発展に尽力してまいりたいと存じます。今後とも議会の皆様のより一屑のご支援ご協力をお願い申し上げ、お祝いのことばといたします。

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