じょうほく議会だより 第61号 1991(平成3)年 2月
10/12
まず、十万原開発について伺います。以前、県が県庁移転先をどこにするか検討している時に町で名乗りをあげ、常北町及び十万原に県の目を向けさせました。県庁は来なくても誘致運動で注目を集めたことは宣伝効果があり、意義のあったことと思います。これが発端なのかどうか、県とタイアップして開発計画をしているということを聞きました。しかし、十万原の大部分は水戸市に属しておりますので、水戸市の協力がなければ開発は不可能と思われます。今までに水戸市と接触をもち、構想、施策を協議した経緯があるのか伺います。また、町内の地権者に対し説明会を開催したそうですがどのような内容の説明会だったのか、今年設立された開発公社は、直接かかわりをもつ烹番瀬谷豊彦議員-1邑誰痴岩桑擢睡議需一裡簡審塞窪躍雪騨志のか伺、ます.次に夜間の緊急事態発生に対する対応措置について伺います。119番をダイヤルしても、なかなか電話に出なか毛ったり、迎えに来てもらう場所の説明をしても電話に出た人が地理にうとく、説明に時間がかかり救急車の到着がおくれた等、町民から不安と不満の声を聞いています。119番するということは一分一秒を争う事態の発生でお願いしているわけですから迅速な対応が要求されるのは増井から一望する十万原当然てあります胆その中で浮・』・ず順》てきたのかまた火災の広報についても那珂川沿岸の農地の水利用計スピーカーの音量が小さくて画の問題であります。その事聞こえない等の苦情を耳にし業を完成するまでには十年以ます。人命・財産を守る上か上かかり、そして農地としてらも、対応には十分配慮すべの枠をはめられると、これかきと思われますが、このようら三十年先ぐらいまで、農地な事態を町で把握しているのとしての利用に縛られてしまか、また今後の対応についています。今、我々は、どうい伺います。う利用にするか決定する岐路町長に立たされているのです。十万原の開発構想についてそういう観点の中で、水戸市は、町長就任の年に県庁移転・県の皆さん方と、どういうの問題が出ましたので、今後形で進めるか数回協議を重ねの茨城県、または水戸市の発ましたが、地権者に協力して展のためにも、十万原が最適いただくには、幾らの単価でであるということで県へ陳情買うか決めておかなければなに行きました。水戸市の住宅りませんので、水戸市と連携事情等の中で、十万原も何らをとって具体的な数字を決めかの手を打たれるであろうとて、地権者の方と話し合いにいう考えの中で、町としては入りました.水戸市長に一応話はして了解まず、ある単価の中で、どを取りつけた上で、県へは陳のくらいの面穣を協力してく情をしております。れるか、調査するため話し合平成元年三月に、知事が立いをし、その中で、面積によ町以来初めて、公式に来町しって形は変わっていくが、今た時に、十万原を見ていただ.のところ企業と住宅にした形きました。非常に良いところになるだろうという説明をしだということで、水戸市のいています。ろいろな事情を考えると、何町開発公社のかかわり合いかしたらいいだろうというこについては、実際に公社が土とを話しておりました。地を買って工事をして売るの《一-10-
元のページ