じょうほく議会だより 第57号 1990(平成2)年 5月
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〆しの銅・筈考唖Iれぱなりません。上入野地区では相当な高まりを見せているということを耳にしております。それに対しては、国県の補助ばかりあてにしていたのでは、なかなかできない部分もありますので、十分考えて対応しなければならないと思っております。農村の生活環境整備イコール後継者対策と考えても良いくらい密接な関係にありますので、根本的な解決を図り、一日も早く事業に取り組んでいきたい考えです。基本調査、計画は前もって実施する必要がありますので前向きに検討して対応したい考えです。尚、都市計画区域内の下水道計画につきましては、県の方の基本調査が終わり、那珂久慈流域下水道に参入できる確率もだいぶ高くなってきており、今年度は確定するだろうと、私なりに考えております。次に原山開発についてですが、私も当初原山については積極的に地域住民の皆さん方の中に入っていき、モートピァ計画ということで協・夫をいただき、集会を開いた経緯があります。しかし、途中で業者の方がギブアップしてしまい、座礁してしまいました。今後は、そういう失敗を絶対しないためにも、附北町の総合計画の中に、どういう位置づけをしていくか、整合性を見た中で検討していきたいと思います。どういう開発をするか、業者の主体性でなく、町が主体性を握った中で進めていき、その中で第三セクタ当町は、昭和三十年二月十一日、石塚町・小松村・西郷村が合併し誕生したわけですが、この合併は当時としては非常に画期的なできごとではなかったかと思われます。また、広域の一部蔀務組合が設立され、和牛の放牧、し尿処理、ごみ処理等が行われ、更に農業共済が加わり城北地方広域事務組合が発足しております。十四番飯村富彦議員一町の合併と教育委員会はe近年城北地方をと詫・.まく環境は常磐高速の開通、北関東自動車道の整備、常陸那珂地区の開発等、大型プロジェクトにより、大きく変わりつつあり、我々の生活環境も変わってきております。そして好むと好まらずとにかかわらず、広域化の波が押し寄せてくるのは避けられない車実であると考えられます。先日、トレセンにおいて、「これからどう変わる城北地域のゆくえ」という演題で講;叩‐な》.シ民枯を雲・食舟て開発業者を募るべきであるという考えを今もっております。そういう意味からも、じっくり計画をしていきますので、地権者の皆さん方には、まとまっていていただきたいと思っております。本年度は、原山地区を含めた町全体の総合計画を立て、町の健全な発展、そして活力ある町づくりの礎をつくっていきたい考えであります。演が行われましたがその中で城北地域の発展方向のひとつとして、観光レクリエーションという中での町づくり、又、笠間城北ブロックの将来像について、というような大きなビジョンが打ち出されました。近い将来、このような計画を実現させていかなくてはなりませんが、現在の財政規模では、どうすることもできないのではないかと思われます。そのために合併という問題は必ず出てくると思いますが、町長の考えを伺います。新聞報道によると、竹内知事も大規模プロジェクトの進展している地域や隣接して一体となり発展している地域は合併効果が高いので、種極的に推進する意向を示しているようです。そして、創世紀までに、現在の八十八市町村を半数ぐらいにしていきたいとも言っております。当町も県庁舎誘致運動の時のような積極的な運動を展開し、一日も早く他町村より一歩進んだ広域合併推進策を考えていっていただきたいと思います。今後、常北町の取るべき道‐酔砕《一》》』一一】〈■垂哩峠一一一一呼一宇一m《一曲rい↑■一一一阜睡■■中■】一一』一一御前山、七会との広域行政の中での合併がいいのか、又、水戸市に積極的に呼びかけて合併した方がいいのか町長の考えをお聞かせ下さい。また、町村合併に先がけて教育委員会等の合併ができないものか考えるのですが、いかがでしょうか。町長市町村合併、特に常北町の合併問題についてこのような公の席で、私的な感覚で述べられないつらさがあり、首長として、どこまで発言していいのか苦脳しております。昭和三十年代に、当時一万位あった町村が三、二○○余に合併され、今日に来ているわけですが、その間、生活環境は高度経済成長、情報化、道路網の整備、住民のニーズの多様化等により、大きく変遷してきております。戦後の十数年の中で、合併がされそれ以来三十年余、そのままの姿で来ていることに対しては、私は決して良いとは思っておりません。社会情勢に合わせた中で再合併はされるべきであるという考えで-3〔)-

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