じょうほく議会だより 第45号 1987(昭和62)年 4月
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住民↑の覚書雪男評!一すから、八年弱の中で住民の皆さんの考えがどう変わってきているか、当時と同じなのか、確かめなければなりませんので、まず住民の皆さんとの対話を持った中で、いろいろな問題を対処していかなければならないと考えております。行政ですので、ある程度の反対というものは覚悟しなければなりません。反対者には、それなりに誠意をもって問題解決していかなければなりませんが、一○○%饗成していただくことはなかなか難しいことですので、ある程度は覚悟して断固たる信念のもとに行動しなければ、逆に行政の沈滞を招きますので、これは肝に銘じているつもりで玄次に上泉墓地移転についてですが、那珂川の堤防の前に五十三軒の墓地がありその中での賛成・反対についてはある程度の住民の意向は聞いております。しかし、住民の皆さんのひとりひとりの意向というのは間し一おnま苓八の一塁急に一軒、一軒の皆さんに当って考えを聞いてみたいと思っています。墓地の場所については、総合的に考えた中で建設されなくてはならないので、できるだけ住民の皆さんに納得していただけるような場所というものを提供しなければならないと考えております。今後、町の畑作の基盤整峨の中で、上泉の畑作を考えていく上でも、住民が協力し、この問題を契機に、将来のためにも住民が手をとっていく上でも、いい問題ではないかと解釈しております。次に総合計画についてですが、六十四年度には人口を一万五千人にするという目標を立てましたが、現実的には難しいのではないかと考えております。人口問題というのは、昼間と夜との人口があるわけでして、昼間の人口が多くて、夜少ないというのが、行政としては一番やりやすく、効率戸か赤面わ’一》一概i常北町の人口が一万五千人というのでなく、人口というものの把握の仕方も問題になってきますので、もう少し検討する余地があると考えております。時代の流れの中で、総合計画は三年毎に見直しているわけですが、人口問題については、今後は都市計画、地域総合耀備計画の中で判断していかなくてはならないと考えておりますので、今後のご協力をお願いいたします。次に住民サービスについてですが、町民に対して役場の果たす役制ということについては、住民も非溌に注目しています。職員ひとりひとりが自覚と認識を持って行動しなければ、住民の信頼は得られませんし、又、それは、行政の信用性・信頼性というものにもつながってくるわけです。私の方から押しつけてもいいのですが、やはり職員ひとりひとりが、やる気を出さなくては困るわけで、今その件については、いろいスな形で内部協議して←る業務とも手ものをしてみたところでございますので、いと考えています。早急に改革していきたいと又、花嫁・花婿問題につ考えております。いては、相談窓口とか、そ一階は住民と触れ合う窓ういう中で展開し、気峰に口ですので、相談窓口、受相談に来られるような場所付という形で検討しておりをまずつくって、種極的にますので、住民の皆さんの導入していきたいと忠いまご期待に添えるような窓口す。選挙の批判票は謙虚に受けとめ町政運営にあたってほしい一七番議員質問に先立ちいと思います。まして、二月の町長選挙に第一点町政の基本構想おきましては厳しい選挙戦ということで質問をしたいではございましたが、町長と思っていましたが、総括の若さと行動力、あるいは質問の中で、きめ細かな説五点の選挙公約というもの明がありましたので、そのが、町民大多数の支持を得他気がついた点をお伺いいて見事、御当選なされましたします。て、本当におめでとうござまず昼休みの対応についいます。でですが、誰もが忙しい仕しかしながら、三千票余事をもっている今日、昼休りの批判票があったというみの時間を利用して、用をごとも砺実ですので、謙虚足すという人が多数いるわに、そして慎重に町政運営けですので、ひとりぐらいを行なっていただきたいと職員が残っていて、そうい思います。う方々の対応にあたっていそして、瀧会と調和をはただきたいと思います。かりながら勇敢に、勇気を次に農業問題についてでもって行動していただきたすが、現在の日本の農業は一食生活の変化諸外国かしの攻勢などで、日本だけの農業ではなかなか生活がしにくいような状態に入っています。そういう中で、今までのように各戸ばらばらに作付けをしていたのではだめだと思うのでありまして、部落ごとに、まとまった生産体制を整えて、生産から選別・販売まで手を延ばしていく必要があると思います。そのためにも農協の責務を再検討し、技術職員が、作付け、消毒等の指灘をしながら、市場との中間に入り情報を得て、農家に情報を流しながら農家と共に歩むようなやり方でなければ、これからは容易ではないと思うので、執行部でも縫協とよく連絡を取り合いながら、そういう方向に持っていってほしいと思います。町長は、鹿沼の農業公社のことに触れておりましたが、それをそのままここへ持ってくるわけにはいきませんので、その中で、できるものはひとつでもふたつ-16-
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