じょうほく議会だより 第13号 1978(昭和53)年 12月
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なお対策会繊等が設置された蝿合には専榔部会で十分検肘されるよう要望いたします。次に、たばこ共同育苗施殻に対する揃助金交付鏑願についてでありますが、湖願書にありますように、隣接の関係町村について、澗査いたしましたところ、桂村ではまだ、対応錘なく、又夫喬においては十二月末までに北部関係町村と協議して決めたい意向のようでありますので、更に継続して調盃検討することといたしましたので、ご報告いたします。十番賑員続きまして報告第十一号についてご報告いたします。一、新町排水溝の整鰯促進について仙陳摘希氏名新町区長小田木正外二名⑧付託年月日昭和五十三年五月十八日⑧群査年月日昭和五十二琵劉七月十日㈱審査結果この地域の排水整術については、前の建設秀周残毒において現地調査の結果、衛生関係の頚境整術難業によって施行するよう執行部に要調し、三光町地内の排水については、この事業により裟術されたが一当謹区域は未解決のまま現在○メートルの舗装より沿逝にに至っている経過がある。雛部部落の人蒙が点在する町土木関係の改良整術事業に道一重五号線及び一.三八号線ついては年度当初に箇所付けのうち、小瀬誠一宅前県道かされた箇所を雄優先すべきで、ら戸崎下に至る区間延延麹ハ陳傭がなされれば、箇所付け五○メートルの道路改良整術されていなくても行なうといを行なうべきである。この路うことにも問迦はあるが、当線は,陳梢路線より生活遊路該陳惟耐町については、陳俄として、はるかに菰要路線でするからには、用地等についあり、一あ区川の改良によっても当然地元の協力があるとて、充分陳慨者の意が湖たさ思われるが、どの穏庇の協力れるのである。が得られるのかやさらに流末執行部及び地元縦員が陳悩については、勾配の関係上間者と協議のうえ、さらに検討題があると思うが、旧県逝のすべきである。側溌を改峰雑術するのか、少三町道四八二号線菰野地内〉るいは、赤津商店前から山王舗装促進についてを経て新道川へ通ずる排水路仙陳偶者氏名磯野区挺禰の流路拡巾をするか等につい永茂外二名て充分検討し、前向きに対処.②付託年月日昭和五士一示すべきである。六月二十九日三町道西二・二四七号線側審査年月日昭和五士一軍瑠弁地内)舗装促進につい七月十日て四需査結果仙陳愉肴氏名埋井区長松この路線は、昭和五十一年崎憎典外三名度及び五十二年旗の二ケ年継倒付託年月日昭和五士一軍統率業により延是八八○メー六月二十九日トルの逝路改良整脈が完了し⑧審査年月日昭和五士一年ており、陳情がなされなくて七月十日も当然姉装工率は施行しなく吻審査結果てはならない。陳傍簡所の津部部誌から県執行部では、昭和五十四年道石塚石岡線へ通ずる蛎井非庇事業として計画し、本年度地改良区内群線通路延長四○は箇所付けされていないが、財政的汀検討を加へ箇所付けされている他の簡所に彩群を及ぼさないで、蕪業蛮にやり繰りが可能であるなら、その範囲内において、本年魔末までに実施すべきである。溌長本日一三に議案十件、諦願二件、陳憾二件、報告四件が終了いたしました。町長から、閉会に際し、ご挨拶をいただきます。町長今謙会は、平凡に兇えますが、亜要な問題でしたが、・各位のご理解により、いづれも可決され、ありがとうございました。お礼を申し上げます。三日伽ご苦労様でした。醗長これをもって鋪三回定例会を閉会いたします。ご苦労槻でした。戸一・,蕊鱗鱗謹鱗雛撰溌局根下倉川岡津田部藤又畑津部山瀬川者め茅丹繊洩外卿独薗安川大大[剣杉今所石たた芙灘塞好確澱澱購業麓雛に垂》一一一一》幸一晒師一》F叩一一峰一一全声夕や一睡峠皿〈》■唾哩一晒唖一一■■す.どなたも仕率を繰典尋、絶非茎儒聴されるよう望みます。編築委員根本恒男早瀬巌飯村正雄大賞治小海利夫江幡勲伽もなくお正月です。寒さもますますきびしくなります。十分体を大切にして継碓ですばらしい新年を迎えたいものです。月日のた》のは蝿Lもの今年もあと数日となりました。こうして一年をふり返ってみると、さまざまな感慨があります。うまくいった思いより、意図どおりにいかなかったこと、やり残してしまった}」となど、反省の材料が多いものです.編集後記Kflf-7-
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