じょうほく議会だより 第10号 1978(昭和53)年 6月
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老人の福祉というのでなく、一般的福祉で、多額多概にわかれていますが、無秩序の所を何とか是正したいというのが『福祉の郷のつくる一部分です。都会において曇いこと仕事をしていると休養の時間が必要で一泊二日の旅行で、いやされるのでなく、人によっては、静かなところで静養しなくてはなら』ない人がいる。これができることによって、椎北においてもこれに関連する労働する人が百人や百五十人はできる。いろいろのことで売れ行きも伸びる。こういうことで常北にプラスになる。費用の点は、財団法人を作って県より出査をいただく、県内におけ一晶棄団と申しましょうか、会社あたりから休養に要する時剛を蛮やす為に、出葦金をおいてそれによってだいこくをおく。ある程慶の出滋金は、常北町においてもしなくてはならないので、その点はよく了承してもらいたい。現在の経満状態の混乱の庭合いも商いので、その点はかくたることは、仕事により、いろいろちがってくるのでできないと思います。地元に陰さした一心負担をかけないということは約束されていますし、財団法人ができた場合には、常北町の仕班として考えてもらうので、決して来京から我々が来て篭ここにやれということではないので、よく考えてほしいと中されていま玄このことは、四○日ぐらい前福祉の郷発起人会をやりました際、今までのものとかわったものもありますが、熱を入れての意見を聞かされたので、今までに申し上げるのが本当ですが、そこまで登上しておりませんですが、現在二十番議員より賀間があったので、申し添えますがひとつの事業をやるその発起人になるには、いっさい、がつさい知っておくべきが当り前と思いますが、何しろ者元の出発点は東京にありますので、待つべきところが多いのです。埋元蕊幕、もっと詳しく了承したいというなら、向うから適当な計画に通用しているものを送って、皆様と話し合ってみたいと申し上げているので、この占智御了承願います。本件について建昨年の夏に鈴木さん、山根さんがおいでになり、蕊房方と話し合ったことを申し上げましたが、あの当時私は奥深く物率を知っているのではないかとの考えの向きがあるように思います。いわば戸一噂フからくるのが本筋で、こうしてしゃべっている以上は、申し残しがある、かような点でございますので、かっこうについては御了承願います。次に、土地不法占有についてですが、これについて、慰謝料兼立木代として七○万円を算出している根拠についてですが、周囲の状況から判断し、いわば腹づもりのもので、瀬谷さんにお話ししてもおしかりをいただくものではないと考えた次第です。それから五十二年中に賊意をもって解決する意志があるのかということですが、ただ今申し上げた通りですのでどう童そくおひきまわしのほどをお願い申し上げます。この算出した金を譲野工事から出させるという意味があるかどういうことかという点については、当時浅野のあそこに来ている関係者といろいろ話‐基艮ました。瀬谷さんの土地弁舌有していると剛かされている前は、大変広い鰯所があってよかった、きれいにしてみればあるのだなあと喜んでいるところへ、大畠さんが兇に行ってこれは大変だ。瀬谷さんの土地までさんざんかわっているという注意をいただ■一一一面■一一一一一一一《)犀》一〆一功一呼一醒一一が、己一寸二】こういう問題がおきれば、当然謝罪もし、勉強しなくてはならないので、本件について瀬谷さんの土地をまちがうには、言語道断だというが、決して我々はあの土地が瀬谷榊子さんの土地とは思いませんで、あそこに一本立っている松の木がある、あの向うに瀬谷さんの土地と識野勇三郎君から叩かされたので別に疑いもしなかったわけです。本件については、非常に隣村が似ているかつて瀬谷勇一君が自分の山と思って大題さんの山まで松を植えてしまって注意を受けて、土地を分割したと、そういうふうなことを思い出せばあるようなことで所有者である瀬谷さんも、まちがったので、我々が誤りを起す、ひとつの要因となる。私としては、浅野が松井に搬出を委託したことを剛いていませんので、浅野がやったことと考えておったわけです。その問題が発生する前の日に浅野と話しあっていた。遠くまでもっていかなければならなかったのに、我ぐ近くにすてた関係上仕班がはかどった。宅造する土地の土の払い出しも早くでき感謝されている、何がしかの金を浅野の方から利益の一部【一等琴}〈悪到蔀一〃》一グ』口年忌一毎国一韮一一囚宇二一一)“F竜孝(wではないかと、浅野と交渉をしたわけです。言われてみると、確かにそういう点はあるので、本社の方とよく問い合わせてくる。それなえ今日行って相雛してくると言って二回ばかり行ったわけですが、そのころになると楯はずっとかわっていまして第一回は関係者がいない。鋪二回目は、金を出さなくてもいいというのが、地元から通話がかかってきたので、会社では金を出す気にはなれなくなったということを側かされていま半も町の金を一銭も出きずに、洩野の弁償によって利益により賄うことによって、一部の施設も、何分は制止できる瀬谷さんより御了解を得られるたしにもなると思いまして、淡野と話ししたわけです。◇洩野から金を出してもらうことは、現在では非柑に困難な状態に入っているわけです。現在いろいろ解決することになれば一部郡務組合の仕率というには、片山朋発の一貫という点から、町においても寅任がありますので、そういう点においては話,江呂をもつと同時にお諮りをいただかなくてはならないと考えている次第です。一.処理蝿については、森田君をよんで聞いたのですが、日醗日に仕事をしたかということについて聞いたところ、日峨に限らず向うからくれば検認するということで、昨日は園部局曇も鯉峨を害し、杢戸の病院に行っているので、正確なデーターを申し上げることができないことを相済まなく考えています。それから青山小屋体入札についてですが、本件については、皆ざん御承知のように、新たに茨水さんのお世話になって現在に至っているわけ藁も第一回目の入札については、兇執り価格が商いので、とうていおよばないということで業者が熱心に検酎されましたが、その結果不鯛に終わった。原因として、設計のミスなのか業者の検討不充分孝点かという}」とで、県の方にたのんで検討してもらいました。さかがわにもたのみましたがさかがわで峰これは拠常はない、又県の方では若干高いものもあるという様なことで不適当な見極りであるということは記徳しています。それで第二回目の入札に入りました。その結果、出てきたメーカーは、東京オンリーであるという意見が出てきました。それ-7-
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