じょうほく議会だより 第4号 1976(昭和51)年 8月
29/49

一手《一pH》凸一一}一』〆》■【{一一“》毎必一如岬で■》、》一己酉申咋》岬型恥珂西から要湘があり、土地癖の寄付金をいただき、坂の改修を行なっていました。その上に水〆市では舗装をのせたおけで海今年になり坂の膳から八本に向って棚迩城舗装されています↑水戸市に連絡したところ蕊この全部の舗装については脅えていないと許う。撒北の町通分については、六○○メートル余りですが、町区長より釧狭の要諦が州ているのは、その二分の皇位です。先稚十齢さんは、この土地は綴菜類の娠地と街うがその通りです。ごぽう、山いもが毎年述作して作られています。年々畑の土が逆蹄におし流されて、ひどい道蹄になっている。砕石を入れる、土がかぶる、呼び砕石を入れる土がたまると雷う聾鉦です。これは根本的解決策がない限りこの道路は良くなりません。那珂西と堀井をつなぐ般短雛雛ですので、今後水戸市と協縦し、それらの改良針画とタイアップして械討しなければなりません。・本年度の帥装計画にのせる為には、これらを建設委興会で、縦肘する以外にないと思壁手奄経済課長ダム遮投に伴い、安度地内に二ケ所埋めた土地かあるわけですが、これは従来畑です。そこを受けとれたわけで魂抑配分された挫地は、畑として配分L、水川の形態はとっていない。これは蕊畑のかさ上げと満うことで施行されました。これは下岬土です。これが砕石まじりの土を入れたということで、強土扱いはしていますが、地下水の授透が思うようでないという事で水川にかえしたいと袴うのが農家の饗馴です。これが食猟蛎施時期である嫌らぱ、無条件で水皿になると思いますが、ダムサイドから剛水をとり入れて、ダムに排水を落すことになります。町単独の考えではむづかしい。この問題、はじめは剛でなく畑として利剛まるということでした。将来このあとに出て来るダム完成鋲の観光地の利剛という面を考えた場合に、水畑がいいのか、果樹剛がいいのか、問題があると思いますが、地元の要梨が、水田利用という一」とであれば、農地託画継と充分械討し、できるなら、安度の水川不足を解滴したいと巻えます。町長観光関係については、ぬずらしい那業で、水が洲ってくると、湖水としての利用価賊が《』》評一(一一が一一二“酔醒■一醒一準』■■『壷』F一(”一一」■声一一{』いろいろの点が鋳鳳される。あそこが観光地として、利用されてはどうかとたびたび聞かされている。私も荊兼は考えていますから、今迄なかったところに、人工によってできた湖水ですので、観光地として利用するには、いろいろの準伽が必要であると思う。蛎城と目される方に来ていただいて、その他の方の設獅にもとづいて、税率するのが良いと忠Zあそこに体州当の畑があり、又水田にしたいとのご窓兄もありましたが、股地が観光地にこたえるべき有利鞍仕耶があるのではないかと考えます。こういう面については、ここの縦典に於ても棚当いろいろな熟練の方もいるので、その方のご端禅をいただくとしても、私としては、鯉光地は人染めが一稀大堺と思いますので、一・》ういう″面にご術郵をあててみたいと思います。一あ辺には湖水が少ないので山あり、水ありという土地になった災”、子供の遊剛地を派ねた体育蝿を作るのはいかがと思います。山道にそって、いろいろ作る紙ですが、側的地へ逮するとい一【■一■|■一」■鐸畦■■一一ロー■二歩》》一一■一一吋》、証咋一吋一二』なり、一日を架しむことになるので、よいのではないかと思う《この地点に於て恕毛和牛が産地として定着しつつありますが、これをもちいる小は、今だ行なわれていませんので、鍋毛利.牛をあのような処で、一寸した郷光施設を作って、食べてもらい、常北の牛の肉の良さを、よそへ伝えてもらうという案も良いと考えています。現喪私が思いついているだけですが、これに対しては、州班の賛用がいると思いますが、蛾会ともども充分検対して、もって行きたいと恩いまず。十番(江幡)錐員遊路関係の鋪一件について、計画がないとのことですが、土地改良としては、下の逆蹄にとりつけることは、まちがいありません。加圧者の迩股課艮の時、上の用地賀収がきかない場合には、下の沢をやろうという計醐案があった瓶ですが、それについて、具体的な案を示せというと、用地没収に、さしさわりがあったのでは困るので、良く研究して地元と祇し合いの上、早い機会に進めていただきたいと要望して終ります。鋪二件について水源市は、今年度は予漂を組んでいない、しF~~..《〃粥手のオ浄批通声曹↑威力があるなら、姉正予算でもとって、協力しましょうと、水戸市の方から.●’甥て来ている。この点についても強方な折術の上、爽施に移っていただきた、。←藤井川ダム卿係については、まだ蕊につめる段階ですので、了解いたします。水源市の鋭光課では、常北町で観光側発する帥山があるか、ないか、早く諦券舞って来ないかと、水戸市で計剛した森林公鰹ですが、成沢ニ恭一津涼萎)誰三一、農業後継帝について、町憂は韮本方針の中で、当初は六○%を尚める農業を主体とした町であると中していますが、農業を除いては、町の発展はないと思い主す。最近農柴を継ぐ箸巻が、全国で一年間で一万人も移転したことがkきな問趣になっているが、一あ町でも農業をつぐ若者が一人か二人しかいない部落もある状態です。何故若打達がこの農業からはなれるか、農業施飛の問迦点があげられると思う。町としても農業後継者についての町の考えをただ、したい刑沢汀、鑑延眺分断され、森林公側が独立化してしまった。いったい計凹させたにしても、小松寺と滞音寺とダムをからんだ、いい謝噸ができるのだと術北で、のり気になってくれないかと誇っているわけです。町長は、後手、後手とあとまわりになるので、この町に観光協穴もあるので、大至忽にその雄会を求めて、早く観光化に入叩ていただきたい。以上要離して、川蝋r解いたします。一■|碓砕一帥岬唖》岨型一一匹一一幸距》一F』』一一暇一睡岬{一砂}■、T■一■』股堆の後荊謹正しく群価して、磯業の雅本課麺を解剛してやることが、今後後継密の定椅につ寿渉ると思いますが、一房問題眼ろいで、町長感どう考えているか価いま十や.:磯業機械災審制度について禿苛が、基本方針の中で、各郁の艇政を総合的に進めて行きたい」震っており結描なことです土地改典聯業報においても希膿地の七訓近く改良されたと思う土地の整価と共に艇業機賊の方も大型化され、コンバイン、緋迩機諦の率故もたびたび-29-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です